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ALTの声

参加者の声

外国語指導補助(ALT)の声

フレデリック・ガマッシュ

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■ 職種:ALT  ■ 都道府県:新潟県  ■ 参加年度:2021年~現在

私は2014年の夏に初めてのアルバイトが決まりました。そこでは、一緒に働いていたおかしなおじさんに、ある日、君は将来きっと先生になるのだと言われました。私はそんなはずがないと思い、笑い飛ばしました。それから10年後…

そのおじさんは本当に言い当てましたね。

カナダに帰ったら教員免許をとるかまだ迷っています。そうはいっても、クラスの前に立つ先生という立場は物凄く励みになります。生徒の英語の学習過程を最初から最後まで観察することができ、生徒が精神的にも身体的にもぐんぐん成長していっている姿も見ることもできます。(ちなみに体が大きくなって制服がきつくなってくることも見られます。)

不思議なのは、先生の私も同時に生徒と全く同じように成長していっています(制服の部分以外に)。日本に来ることで教員にはなりますが、ある意味で、学生にもなります。

焦らずに、ぜひ両側の立場を楽しみに来てください。私には悔いが一切ありません。

タナー・ハルベルト

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■ 職種:ALT  ■ 都道府県:高知県  ■ 参加年度:2021年~2023年

JETプログラムは2020年に新型コロナウイルスの影響で何度も延期されてしまいました。JETプログラムに入る私の夢は、近そうで遠かったです。JETプログラムに入るために私の人生を1年間保留にしましたが、延期が更に伸びてしまいました。私は絶望しました。

しかしある日、私の配置先の黒潮町からメールが届きました。「また延期になって大変残念ですが、あなたのことをいつまでも待ちます」と書かれていました。私はそのメールを読んだ後、黒潮町の人々の優しさによってたくさん勇気づけられました。黒潮町はいつまでも私を待ってくれるのなら、私もいつまでも黒潮町のことを待つと決断しました。

しかしずっと待たなくても良かったのです。私は2021年に来日しました。黒潮の町民をはじめ、高知県民は私のことを暖かく歓迎してくださり、物凄く親切で献身的でした。私もその人柄を自分自身に植え付けようとしました。

そうは言っても日本での生活は簡単なわけではありません。外国に引っ越すのは、大人の在り方を学びなおすようなものです。最初は料理や洗濯のような日常的なことでさえも大変なのですが、それを乗り越えたときに大きな達成感があり、自分に自信や信頼を徐々に築いていきました。日本での初日に朝食を作るのに苦労しましたが、それから半年後、富士山に登ることができました。

日本には、恐れるものがまだたくさんあり、克服しなければならない課題もたくさんあります。でも日本は私を課題に克服できる男に育ててくれました。私は今後の課題にも克服できるようになり、幸せです。

セリーヌ・チャン

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■ 職種:ALT  ■ 都道府県:秋田県  ■ 参加年度:2018年~2023年

JETプログラムに参加することを決めるのは簡単なことではありませんでした。シンガポールでの教育関係の仕事と比べると大幅な減給になり、家族や友人など故郷の大切なものをたくさん手放すことになったのです。JETプログラムは、2年間でできる限り成長しようという自分への挑戦として始まりました。しかし、最終的には言葉にできないぐらいの5年間の長い旅となりました。

日本文化を体験する一番良い方法は、現地の日本人から学ぶことだと思います。ここ5年間で、生徒や先生との交流や仲良くなれた住民の方々に多くのことを教わり、その中で全ての出会いや経験は一生に一度きりだと意味をする「一期一会」ということわざを教わりました。これは、人生における出会いがまったく同じ形で繰り返されることはなく、その一つひとつを大切にしなければならないということを思い出させてくれる大好きなことわざです。

日本で私の経験を一言で表すなら、それは「一期一会」になります。この言葉のおかげで、一つひとつの出会いを大切にし、現地の日本人と家族のような深い関係を築くことができました。それは私にとってJETプログラムでの一番良い経験でした。現地の日本人とシェアした多くの心温まる思い出は、日本を私にとって特別な場所にしてくれました。

居心地の良い場所を離れ、自己成長を目的とした旅に出ることは簡単ではありませんでしたが、全てを手放してJETプログラムに参加したことに後悔はありません。私は自分自身について多くのことを学び、一生に一度の素敵な経験をたくさんすることができました。現地の日本人と関わり、自分のコミュニティを見つけることが出来たらJETプログラムでの経験がどれほど特別なものになるか、皆さんも驚くかもしれません。これは一生に一度の経験になります。

ドミニク・ダイジャコモ

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■ 職種:ALT  ■ 都道府県:滋賀県  ■ 参加年度:2022年~現在

日本に来てまだ少しの時間しか経っていませんが、JETプログラムのおかげで日本での第2の故郷を見つけることができたに間違いありません。留学先の東京から地方の滋賀県に住むことと、地域の一番大きい中学校の唯一のALTになるということに対してものすごく不安でしたが、現地に着いた時に全ての不安が解消されました。

滋賀の素晴らしいコミュニティーがまさかこんなに歓迎してくれるとは思いませんでした。イベントに連れて行ったり町を案内したりしてくださり、着いた瞬間から周りの先生や生徒が暖かく歓迎してくれました。積極的に歓迎されるのは最初の数週間で終わるだろうと思っていたのですが、4カ月が経った今でもまだ色々な場所に誘われ続けています。滋賀県で家族の一員になったような素晴らしい県民だけではなく、第2の故郷を見つけたと本当に思っており、この場所を離れる予定はありません!

シドニー・マイケル

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■ 職種:ALT・CIR  ■ 都道府県:山口県  ■ 参加年度:2019年~現在

初めてJETプログラムのことを知ったのは高校生の時で、私のやりたいことだと思いました。その後、大学内のミネソタ日米協会でインターンをしていた時に、JETプログラムを勧められ、興味を持ち、詳しく調べるようになりました。日本語を専攻していましたが、子どもと関わる仕事がしたいと思い、ALTとして申し込むことにしました。

山口県に配属され、小学校のALTとして3年間働きました。生徒たちが初めて外国の文化に触れる瞬間や私の母国語を教えることに、とてもやりがいを感じました。交流は授業だけではなく、休み時間には子ども達と遊び、昼食時には一緒に食事をし、学年末のコンサートでは特別ゲストとしてブラスバンドに参加したこともありました。日本についてだけではなく、アメリカについて、そして自分自身について、多くのことを学んだ素晴らしい経験でした。

数年後、JETの任期後の人生について考え始めました。教育業界の経験以外に翻訳や通訳の経験も積みたかったですが、JETプログラムや慣れ親しんだ山口県を離れたくないという思いから、山口県庁のCIRへ異動させてもらいました。現在、知事の通訳、観光資料の翻訳、県内の方々に自分や自分の国について伝えるなど、毎日新しいことに挑戦しています。

JETプログラムは私の人生に大きな影響を与えてくれました。大変感謝しております。

クララ・フジノ

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■ 職種:ALT  ■ 都道府県:千葉県  ■ 参加年度:2018年~2023年

JETプログラムに参加し、教師になってから生活の中にある小さな喜びを大切にすることを学びました。来日してから、千葉の町民は自らのコミュニティーを誇りに思っているものがあると気づきました。私が教えていた生徒たちの学校のすぐ外に庭がありますが、季節が訪れるごとに、新しい作物が育つのです。私がナシで有名な町に配属されていますが、周りの生徒たちの中には、学校で農作業に参加しており、自分たちのナシを収穫する機会もあるのです!

アレクサンドリア 高橋

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■ 職種:ALT  ■ 都道府県:群馬県  ■ 参加年度:2017年~2022年

JETプログラムが終わっても日本に残る前提でJETプログラムに応募しました。配置先に着く前から語学学習をはじめ、日本に来た目的が決まっていました。赴任初年度、校長先生は学校の式でその年のテーマを発表しました。そのテーマは、「挑戦」でした。校長先生は、前向きな態度で色んなことに挑戦をしたり色んなことを経験したりするようにおっしゃいました。

その言葉が私に凄く響き、想像もしていなかった最高の冒険に導かされました。新しい趣味にハマったり人に誘われるたびにYESと答えたりすることで、JET卒業後のキャリアの成功に貢献してくれた大切な繋がりに出会えました。そのおかげで、もっと自分が生きたいように生き、JETプログラムでの大切な思い出を作ることができました。

トーマ・ジャンヴィエ

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■ 職種:ALT  ■ 都道府県:千葉県  ■ 参加年度:2008年~2010年

JETプログラムに参加した当初、私はとてもとても不安でした。母国を離れ、まったく知らない国に行き、生活を変えたり、新しい仕事を始めたりすることは非常に心細いものでした。

しかし、高校に赴任して、教頭先生や生徒たちと顔を合わせると、すごく安心しました。みなさんがとても親切で、私の気持ちをよく理解してくれました。

一言で言うと、JETプログラムでの経験は私の人生で最高の経験でした。それまでは、まったく知らない所に行くことがそこまで満ち足りたものになるとは思っていませんでした。

仕事の面においても、JETプログラムでフランス語と英語を教えるフランス人のALTとして素晴らしい経験をすることが、「日本で先生をする」という自分に合った仕事を見つける最もいい方法だったと思います。JETプログラムは私にとって初めての働く経験であったにも関わらず、任用された初日から最後の日まで、全てが順調でした。今振り返っても、良くない思い出は1つもありません。また、同僚も私のことを信頼して、責任ある仕事をいくつも任せてくれました。私はALTとして働いていましたが、担当するクラスでは、ほとんどの業務に関わらせてもらい、とても有意義でした。

そして、精神面においても、JETプログラムを通じてそれまで知らなかった国を知り、新しい人々と出会い、食べたことのない料理を食べ、聞いたことのない音楽を聴き、想像もしなかったような所に行き、住んだことのない所に住むことができ、非常に満ち足りた経験をすることができました。

現在は別の仕事をしていますが、今でも日本に住んでいます。それはJETプログラムを経験したからこそです。大学生になったかつての教え子達とはずっと交流を続けており、共に過ごした素晴らしい思い出は今でも大切な宝物です。みなさんもJETプログラムに参加して、「日本で教える」という貴重な経験をしてみてはいかがでしょうか。

アンキタ・ナレッシュ

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■ 職種:ALT  ■ 都道府県:三重県  ■ 参加年度:2006年~2008年

1年半後に結婚を控えた私にとって、JETプログラムで来日するという決断は容易ではありませんでした。しかし、私の人生に新たなページを加える手助けしてくれた夫に大変感謝しています。

大都会からやってきた私にとって、地方の生活に慣れるのは大変なことでした。同僚の先生や子供たちが暖かく迎えてくれたことによって、日本での生活は忘れられないものになりました。

西洋人でないJET参加者が来たのはこの地区では私が初めてでした。そしてよくアメリカにどれくらい住んでいたのかと尋ねられました。というのも私が上手な英語を話すからです。インドが正式に英語を公用語とする国であると説明するのにしばらく時間がかかりました。

地方に配置されたため、この地区では外国の世界にふれた経験のない子供たちがたくさんいます。同僚の先生の一人から、この地区では自分の住む地域から出たこともなければ、ましてや外国に行ったこともない子供達がたくさんいると教えられました。 だから私は子供たちと外国の橋渡しとなっているのです。つまり、こここそが、国際化をするという私の仕事をすべき場所なのです。先生や生徒たちはインドの文化や料理を学ぶのにとても熱心です。

私にとっては、日本語を話すことはとても大変でした。同僚の先生の中で英語を話す人はほとんどいませんでしたので、日本文化や生活について学ぶ機会はふんだんにあります。さらに、同じアジアの中に私のような英語を話す仲間がいるということ伝えることによって先生や生徒たちが英語を話すきっかけを作っていきたいです。

ジョール・ホール

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■ 職種:ALT  ■ 都道府県:山形県  ■ 参加年度:2004年~2007年

2004年7月にJETプログラム参加者として山形県の小さな町にたどり着いたとき、英語の先生でしか活動しないだろうと思っていましたが、まさかパティシエ、サンタ・クロース、介護者、マジシャン、ミュージシャン、稲作農業者、武士にまでなれると想像もしませんでした。

山形県民の優しさのおかげで、日本で2年間生活しただけで、日本人の一生分の経験より多く経験した気がします。それはJETプログラムのおかげです。

日本の田舎で生活することで、手腕を問われるときもありますが、収穫と築いた友情はいつもまでも私の中に残ります。違うことに挑戦しようと思うのならば、JETプログラムをおすすめします。

コリー・カルフェル

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■ 職種:ALT  ■ 都道府県:富山県  ■ 参加年度:2004年~2007年

JETプログラムの成功のカギはALTと英語の先生と生徒の間にある「やる気のサイクル」だと思います。先生が本気で、楽しくて面白い授業をすると、生徒が興味津々で授業を受けるようになり、先生のやる気に更なる刺激を与えます。私の勤めている高校でそういった関係があるわけで、JETプログラムは「仕事」より、楽しくてたまらない体験となっています。外国で生活するわけで辛いときもありますが、私はどれほど幸せかと思い出すのは教室に入っていく瞬間です。

グレッグ・コック

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■ 職種:ALT  ■ 都道府県:奈良県  ■ 参加年度:2002年~2005年

まもなく卒業を迎えている大学生の多くと同じように、「次はどうしようか?」と深く悩んでいたのです。未知であり恐怖感もありましたが、まず海外に行きたいという思いがありました。しかし、どこへ、どういう形で行ったらいいのか、それは大きな問題点した。

そのときJETプログラムを友人が薦めてくれたのです。

日本語能力はもちろんゼロ、しかも日本社会に関しての知識が殆どないまま、海を渡って大規模な東京オリエンテーションを迎えました。JETプログラムに参加しているさまざまな国から来た人たちの数にとりこにされ、日本の国際化に努めることを決意しました。実り多い3年間を奈良県で過ごすことができました。一生忘れない素敵な思い出を作りました。そして自信を持って言えますが、先生たちや生徒たちと大切な友達になることができました。

JETプログラムは、もちろん日本文化の一面を私に紹介してくれました。しかしその他により多く教えてくれたものは、文化背景にかかわらず、日本であっても他の国であってもですが、完全なシステムというものはどこにもないということです。人々をそのシステムに合わせるのではなく、システムを人々に合うよう変えていくべきです。その責任はシステムの中にいる人々にあるのです。

当初は、旅行、冒険、自分自身が何者であるかといったことを探すという考えでしかありませんでした。JETプログラムでの経験を一言で表すなら、勇気を試す機会、私が何者であるか、またこの急速に進展するグローバル社会にどう適応していくべきかという考えを与えてくれたということです。

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