アシュレイ・オニール、元兵庫県ALT、2010年~2013年、JETAAニューサウスウェールズ・イベントコーディネイター
日本で過ごした最後の一ヶ月、青森県から岡山県へ旅立ち、途中で富士山に登りました。私は運動不足で、普段登山もしないし、その上、訓練もしておらず、無理だと思いました。富士山の山頂で、下の風景を見ながら、3年のJETでの経験で私の人生はどれだけ変わったか、そしてどれほど学んで、経験してきたかを顧みました。今振り返ってみると、富士山に登ることはJETプログラムを終了することや逆カルチャーショックを受けた経験と似ています。登りのしんどさ、寒さ、空気の薄さ、そして暗さは全て覚悟していたが、下りの方が予想以上に辛かったです。
オーストラリアに帰った途端、逆カルチャーショックを受けました。日本と違って、会話がすべて理解でき、運転手はもっとアグレシッブで、レストランでサービスが遅いです。電車に乗車中に人が電話で会話をすると気が張ります。一般的に、秩序が乱れているように感じました。
合わなかったのです。友達や家族は支えてくれなかったわけではないが、事情が変わりました。日本に行っている間世界が止まってくれたわけではありません。私は日本で大きく変わりました。もっと自発的になり、一人暮らしで得た自由が好きになりました。自信がつき、さらに外向的になりました。冒険者のように、新しいことに挑み新しい人と出会いたい気持ちになりました。しかし、戻ってから周りの人があの2013年に日本へ旅立った心細い、内向き、引きこもりの私として取り扱ったので、昔の自分に戻るような気分でした。
9月、私はJETAANSWの30周年イベントに出席しました。懐かしい顔ぶれや私と同じく新しい人生に慣れるのに苦労している人と話せて良かったです。嫌いな仕事をしていた人もいたし、就職できていない人もいました。他の人たちと私たちが直面した課題について話すことで私はリラックスすることができました。逆カルチャーショックは私たち皆を苦しめたが、私たちは笑いながらお互いをサポートしあえました。多くの元JET参加者は今のキャリアを見つける前は、放心したような気持ちになったと言いました。彼らは、私をこのまま挑戦し続け、気を落とさないようにと励ましてくれました。私は他の元JET参加者と話せたことだけでなく、私に個人的な話をしてくれた人と出会えたことにとても感謝しています。
特に、ある元JETは私に国際学生活躍支援事業について話してくれました。その仕事は私にとって完璧で面白くて、彼女の話のあと、私の将来に関するすべてのことが明るくワクワクするものになっていました。私はそれこそ私のやりたいことだ、と思いました。そして再び、私はあらゆるところに仕事を求めて行きはじめましたが、誰1人返事をくれませんでした。今まで以上に自分が無力に思えました。
最終的に私は9月に話をした元JETに連絡を取りました。私はいかに自分が就職活動において運がないかを話しました。私たちは会うことにしました。現場を経験した人からアドバイスをもらうことは驚くべき程に役に立ちました。彼女は私が応募した職においてどのスキルが重要であるかを教えてくれました。彼女の手助けによって私のCV(職務経歴書)はよりよいものとなりました。また私達は雇用過程や仕事に対する責任、大学の国際学部などの他の可能性について話し合いました。
ある日、数日前にCVを提出したところからメールが届きました。電話で企業と話をし、その仕事は完璧だと思いました。次に直接面接をしようと言われました。本当はわくわくしたいところだったが、自分の過去の経験から期待はもうしない方がいいと思いました。
面接はうまく進んだのです。たくさんの人に会い、上級住居補佐を担当しているスタッフとキャンパスツアーに参加しました。きっと私よりも優れた人材を見つけるだろうと言い聞かせ希望が膨らまないようにしました。翌日面接を行ってくれたことに対する感謝のメールを送りました。返ってきたメールには、あなたに会えて本当に良かった、また連絡しますと書いてあり、音沙汰がない日々が続きました。
ある日、彼らからのメールでその沈黙は破られました。その親切なメールには、まだ応募者について話しあっていること、それから連絡を待っていることに対しての感謝の言葉が並んでいました。それから、所長から直接、仕事のオファーのメールが届きました。
ついに、希望の場所で仕事を得ることができました。ついに、私の中の価値を見出してくれる人がいました!ついに、私は無力だという気持ちから逃れられました。私はついに残りの人生を築き始めることができました。
これからの帰国者へのアドバイスを述べたいです。一番近くのJETAAに参加すること。彼らは他の元JETにつなげてくれる、そしてイベントを開催し、日本への繋がりを持たせ続けてくれます。JETを経験した者より、JETの心が分かる者はいません。
富士山を登るごとく道が険しい、時々将来設計ができないことがあります。帰国後、慣れるのに、自分と周辺にいる人に時間を与えましょう。不安を感じても大丈夫。これは必要で大きな変化で、誰かに助けを求め、近くにいる他の帰国者と話をしましょう。きっと考えているより長くかかるけれど、最後には自分の目的地にたどり着けるから我慢して、自分のゴールを諦めないで。最後には大変な道のりとそれを耐えたことに意味があるからです。