JET Streams – 第57号(2024年夏号)
クレアコーナー(自治体国際化協会からの記事、お知らせ)
JETAA(I)(JETAA支部及びJETAA-Iからの記事)
JETの向こう(JET経験者からの記事)
2024年の夏号へようこそ!
自治体国際化協会(CLAIR)JETプログラム事業部
いつもJET Streamsを読んでいただきありがとうございます。JETプログラム事業部です。日本では、10月が近づいているにもかかわらず、残暑が続く中でも、少しずつ秋の気配が感じられる季節となりました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。
さて、今号も盛り沢山の記事をお届けします!
7月に行われた「JET動画コンテスト表彰式」、2024年3月に実施された「国税庁酒蔵ツアー」、「KenJETKai」の任用団体訪問、「JETAAインドネシア」と「JETAAジャマイカ」のメンバー紹介、そしてJET経験者4人による経験や活動の紹介などです。
今号も、これらの記事が皆さまにとって楽しく有益なものであることを心より願っています。もしご自身のストーリーについても共有を希望される場合は、以下のリンクから詳細をご参照ください:
- 記事のプロポーザル提出用:
- https://forms.office.com/r/51bg1Ab8K1
皆様にとって素晴らしい夏の終わりと秋の始まりを祈り申し上げます。
また冬号のJET Streamsで会いましょう!
伝統産業の魅力に触れる
酒蔵ツーリズムで国税局が日本酒をPR
こちらは2023年春号記載の記事の続きです。前回の記事はこちらからご覧いただけます。
日本酒文化等を体験しその魅力を世界にPRすることを目的に、2023年から各地の国税局が主催する日本在住のALT等を対象とした酒蔵ツアーが実施されており、2024年は、36道府県において同様の酒蔵ツアーが実施されました。
その一つとして、2024年3月2日に関東信越国税局が開催した酒蔵ツアーを紹介します。
今回訪れた酒蔵は、埼玉県比企郡小川町にある1851年(嘉永4年)創業の松岡醸造です。「帝松」のブランドで知られ、150年以上にわたり水と酒米にこだわった酒造りを伝承しています。
今回のツアー参加者は、日本酒の製造工程や設備の説明を受けたほか、日本酒の利き酒や和食とのペアリング、小川町の伝統産業である和紙を使用したオリジナルラベル作りを体験しました。参加者の埼玉県ALTのAlex Pedleyさんは、「日本酒の製造方法と工程に興味をそそられた。フードペアリングも素晴らしく、日本酒をどのように提供するのがベストなのか、理解をさらに深められた。」と語りました。また、Felicia Orianaさんは「みんなが自分の仕事や製品について情熱的に語るのを楽しめた。日本の「伝統的酒造り」をユネスコの無形文化遺産にしようという取り組みがあることを知ったのもよかった。」と語りました。
製造工程の説明をうけるとともに「櫂(かい)入れ」体験
日本酒の利き酒の体験
和紙を使用したオリジナルラベルのラベリング体験
つぎに、2024年3月10日に高松国税局が開催した酒蔵ツアーを紹介します。
こちらのツアーでは、徳島県にある日新酒類を訪れ、日本酒の製造工程や設備の説明を受けたほか、日本酒の瓶詰や料理とのペアリングを体験しました。参加者は、「お酒があまり得意ではありませんでしたが、今回の訪問は忘れられない経験となりました。ペアリング体験では、日本酒が様々な風味を美しく引き立てるということは新発見でした。」や「初めての経験でとても興奮しました。日本酒の製造について多くのことを学びました。とても楽しかった。」と語りました。
製造工程の説明をうけるとともに「瓶詰め」体験
- 酒蔵や日本酒に興味を持たれた方は、以下の動画もぜひご覧ください。
- https://www.nrib.go.jp/English/sake/japanese_sake_essentials.html
(独立行政法人 酒類総合研究所作成)
なお、地域の酒蔵と観光資源を巡るこうしたツアーは、来年も日本各地で開催される予定です。
2024年JET動画コンテストの表彰式
自治体国際化協会(クレア)より、7月12日に開催されたJET動画コンテスト2024の授賞式が無事に終了したことをお知らせします。このコンテストはJETAA-Iとの協力で始まり、JETプログラム参加者又は経験者の視点を通して日本のさまざまな地域の魅力を発信するだけでなく、世界中のJET経験者と日本との絆を維持又は強化することを目的としています。
数か月にわたる応募期間を経て、約200本の素晴らしい応募作品が集まりました(こちらからご覧いただけます)。審査委員会による厳正な審査の結果、13作品を受賞作品として決定しました。そして、海外からの受賞者3名を含む全受賞者を授賞式(東京都)に招待しました。
授賞式には、全国の現役JETプログラム参加者、経験者、関係者など約100人が出席し、大きな盛り上がりを見せました。授賞式は表彰式と交流会の2部構成で行われました。表彰式では、13人の受賞者の作品が上映され、受賞者は賞状と賞品を受け取りました(受賞作品と賞の詳細はこちら)。交流会では、JETAA-I会長のLaurence Innis氏や金賞受賞者のJohn Jarvis氏によるスピーチの機会もあり、出席者はJETプログラムコミュニティ内の絆を深めるための会話に花を咲かせました。以下の写真は、記念すべき夜の様子を収めたものです。
金賞を受賞したJohn Jarvis氏
最優秀賞受賞者3名とトロフィー
全受賞者の集合写真
交流会の様子
受賞された皆さまに心よりお祝い申し上げますとともに、コンテストにご参加いただきました皆さまに深く感謝申し上げます。JETプログラム参加者及び経験者の皆様のご協力は、世界と日本との繋がりを維持する上で不可欠であるため、引き続きご協力のほどお願い申し上げます。
今後のイベントの最新情報については、JET StreamsやJETプログラムのSNS(LinkedIn, Instagram, Twitter)を通じてぜひご確認ください。
「KenJETkai」PRのための自治体訪問
和歌山県庁でのミーティングの後の様子
「KenJETkai」をご存知でしょうか。
KenJETkaiとは、2017年に始まったJETAA-I(JETプログラム経験者の会の国際委員会)の取り組みです。その目的は、JETプログラム経験者、現役JETプログラム参加者、各都道府県などが直接つながり、自由に情報交換できる場を作ることです。KenJETkaiはFacebook上のグループで、2024年9月現在、47都道府県のうち44都道府県に独自のグループがあります。会員の総数はすでに5000人を超え、着実に増加しています。
これまでのKenJETkaiの活動は、JETプログラム経験者と現役JETプログラム参加者の交流に重点を置いてきました。CLAIRは、自治体側からより多くの情報コンテンツをKenJETkaiに発信してもらうために、JETAA-IによるKenJETkaiのPR活動を支援し、日本国内での活動を促進しています。今年の7月に、JETAA-Iの会長であるローレンス・イニス氏と担当役員のマシュー・ギラム氏が来日し、一週間で6つの自治体を訪問し、KenJETkaiに参加するメリットなどを説明しました。
鳥取県知事 平井伸治とのミーティングの様子
JETAA-Iの活動にCLAIR職員が同行し、長野県、鳥取県、福岡県、大阪府、和歌山県、徳島県を訪問しました。訪問を通じて、自治体は、 JETプログラム経験者を活用すべき貴重な財産と認識しており、KenJETkaiにも関心を示しておりました。しかし、自治体が独自に運営するSNSチャンネルなどを利用した情報発信には組織的な制約があるため、KenJETkaiの活用は多くの自治体にとってハードルが高いという課題があります。しかしながら、JETAA-Iは、KenJETkaiが提供するネットワークが、自治体がJETコミュニティという「国際社会」と交流を続けることに役立つと考えています。
各府県の担当者と自治体のニーズやKenJETkaiに関するアイデアについて話し合うことは、JETAA-Iにとって、自治体とJETプログラム経験者のコミュニティをより強化するために役立つ情報が得られる貴重な機会でした。また、多くの自治体が、JETプログラム経験者との関係を維持する方法を模索している一方で、新しいネットワークを作るために独自のプロジェクトをすでに始めている自治体もあります。
長野県では最近、インバウンド、多様性、国際化を促進するため、世界中のJETプログラム経験者とつながる取り組みを始めました。過疎化に歯止めをかけ、地域の活性化につなげるためには、JETプログラム経験者という「国際社会」の活用が一つのカギになると考えています。時代の流れを察知し、JETプログラム経験者と現役JETプログラム参加者が自治体とつながり、あらゆる情報を共有するためにDiscordと呼ばれるSNSのサーバーを立ち上げました。KenJETkaiはより洗練されたネットワークに進化する可能性を秘めており、JETAA-Iはいつでもそれに関する提案を受け付けています。
長野県庁でのミーティングの様子
CLAIRは、JETAA-Iが日本各地の自治体と世界の「JETコミュニティ」との絆を強化していくための活動を今後も支援していきます。KenJETkaiについてもっと知りたい方、会員になりたい方は、JETAA-IのウェブサイトかFacebookのページをご覧ください。
JETAA ジャマイカ支部のメンバー紹介
ジャマイカと日本の友好60周年を祝して
著者:テリーケ・ブラウン(JETAA ジャマイカ会長)
Japan Day 2023
2024年は、ジャマイカと日本が外交関係を樹立してから60周年を迎える年となります。ジャマイカと日本は地理的に遠く離れ、歴史・文化的にも異なりますが、1964年3月16日の国交樹立以来、特別な絆で結ばれています。
ジャマイカと日本の間には、日本の自動車やジャマイカ産ブルーマウンテンコーヒーの貿易といった経済的な側面だけでなく、両国の豊かで伝統的な文化や遺産についても両国民の間で深く共鳴する関係があります。例えば、ジャマイカではアニメや漫画のファンが増加し、コスプレイベントや関連するアクティビティが非常に増えています。同様に、ジャマイカの音楽や食文化、伝統も、日本で開催される『One Love Jamaica Festival(ワン・ラブ・ジャマイカ・フェスティバル)』を通じて広く受け入れられています。このフェスティバルを通して、ジャマイカを訪れる機会が少ない日本人に、ジャマイカの文化に触れることができます。
JETAA ジャマイカ
ジャマイカと日本の二国間関係は、文化交流と相互協力という共通の価値観によって支えられています。JETプログラムは、草の根レベルでの国際化を推進し、人々をつなぎ、世界中に友好の絆を築くための取り組みの一つです。ジャマイカが2000年にJETプログラムに参加して以来、400人以上のジャマイカ人がこのプログラムに参加してきました。現在、JETプログラムはジャマイカで最も成功した異文化交流プログラムとなっています。
2015年にジャマイカのウエストモアランド教区と日本の鳥取県が姉妹都市提携を結ぶ覚書(MoU)を締結し、日本の国際化推進がさらに強化されました。この覚書の締結以来、鳥取市はオリンピック選手を含む複数のジャマイカ人選手を受け入れています。
JETAAジャマイカ主催エッセーコンテスト
JETプログラムの大きな利点は、社会資本を構築する上で変革的な効果をもたらしたことです。例えば、ジャマイカJETプログラム同窓会(JETAAジャマイカ)の素晴らしい活動は、外交や発展の原動力が人であることを実感させてくれます。2002年の設立以来、JETAAジャマイカはジャマイカと日本の友好関係を深めると同時に、ジャマイカ人の日本文化や日本社会に対する理解を深めることに尽力してきました。帰国後、多くのJET経験者がビジネス、教育、政府、慈善活動、クリエイティブ産業などで活躍しています。彼らの知識移転、能力開発、ボランティア活動を通じたジャマイカの発展への貢献は、異文化交流の成果として引き継がれています。
幸いなことに、JETAAジャマイカはこの取り組みを一人で行っているわけではありません。JICAジャマイカ同窓会(JAAJ)、ジャマイカ文部科学省奨学生協会(AJMS)、West Indies大学日本語学科、いけばなインターナショナル・セントアンドリュー支部、AnimeComなどの関連団体も、ジャマイカと日本二国間の関係を深めることに熱心に取り組んでいます。この60年間にわたる関係は、ミクロレベルでもマクロレベルでも、両国の幅広い分野や課題において、知識、技術、資源、労働条件の改善につながっています。人々が旅をし、互いに学び合うことで、最も効果的な方法や新技術が採用される一方、社会全体に利益をもたらす戦略的パートナーシップが生み出されています。
JETAAジャマイカとJICA、2023年の年次海岸清掃活動
予測できない時代を乗り越えるには、私たちの成功は、私たちが育む人間関係により大きく左右されるようになるでしょう。文化交流、相互協力、経済協力という共通原則のもとで戦略的パートナーシップと友好の絆を築くことは、共に学び、成長し、繁栄していくうえで、両国にとって有益な結果をもたらすことでしょう。ジャマイカと日本の外交関係樹立60周年の記念は、人間中心の外交の証です。両政府が各省庁や在外公館を通じて、この60年の間に築き上げた貴重な関係を育んできた長年の努力に大変感謝しています。
また、JETプログラムが日本の草の根外交の礎の一つであり続けるために、自治体国際化協会(CLAIR)とJETAAインターナショナルが多大な貢献をしていることに感謝しています。JETAAジャマイカは、ジャマイカと日本の外交関係樹立60周年を祝うこの行事に参加できることを光栄に思っています。JETAAジャマイカが、日本とジャマイカの間の特別な友情の絆により試練を乗り越えてきた証であることに誇りを持っています。
JETAA インドネシア支部のメンバー紹介
- JETAA インドネシアインスタグラムリンク:
- https://www.instagram.com/jetaa.indonesia?igsh=MXMxbWZtYWphNHdvag==
Photos of JETAA Indonesia Activities
カフェは世界平和に貢献できるのか?
神戸の郊外に国際的なコミュニティを築く、一杯のコーヒーから始まる
「異国や異文化の人たちの中にいると、自分らしくいられる」と語る松尾 惠里さんは、神戸郊外で小さなカフェを経営しながら、カナダ留学での学びを振り返ります。彼女が日本に戻って以来、外国人たちは彼女がいる神戸郊外の狭く、閑静な地域に集まるようになりました。駅からバスに揺られてたどり着く、老朽化した集合住宅が立ち並ぶこの地域で、彼女は私を含む多くの人々と協力し、活気ある国際コミュニティを築いてきました。最初は英語クラスを開き、次にカフェを開店し、今ではコミュニティイベントを通じて、私たち全員が自分らしくいられる場を提供しています。
松尾 惠里、(中央下、黄色い花を持っている方)と多様な多聞台コミュニティのメンバーたち
私自身も、ある意味では友人の惠里さんに似ています。大学時代、コロンビア、フランス、日本から来た学生たちと交流する中で、同じアメリカ人よりも自分らしくいられることに気づきました。それがきっかけで、私は彼らとは逆の旅を始め、アメリカを離れて、2019年にJETプログラム参加者として神戸にやってきました。最初は、駅からバスで長時間かかる郊外の小さな地域に手配されたアパートにがっかりしましたが、そのバスの中で惠里さんと出会い、老朽化した集合住宅が立ち並ぶ道のりの中で、多様性とコミュニティの強固な結びつきを体験する機会に巡り合いました。
「社会に貢献できる人生を送りたい。そして、平和が何よりも大切だと強く信じています」と、惠里さんは地域での彼女の活動について尋ねられるとそう語りました。
彼女が住む多聞台(私もJETだった頃に住んでいたところ)は、若い家族や年配の方々、そしておよそ40名の英語を話す若いJETプログラム参加者が暮らす、少し変わったコミュニティでした。このような多種多様な住民が、一つのコミュニティとしてまとまることはできるのでしょうか?
惠里さんと私が初めて協力して取り組んだ企画は、彼女が地元の子どもたちのために開催した英語教室を講師として手伝うことでした。英語教室には多くのJETプログラム参加者がボランティアとして参加しました。教室の隣にはカフェがあり、惠里さんは当初、パートとしてそこで働いていましたが、後に会社を辞めてフルタイムでそのカフェを経営するようになりました。「良い意味で人生が一変しました」と彼女は自身のキャリアチェンジについて振り返ります。彼女は幼い2人の子どもの母親であり、レストラン経営の経験もありませんでしたが、それでも挑戦しました。「振り返ってみると、私にあったのは情熱だけだったようです」と彼女は語りました。
コミュニティカフェの前に撮った私が企画・講演を手伝ったキャリア・ワークショップ(Zoomでオンライン開催)の参加者たちの写真(photo credit: instagram @tcc_holidays)
現在、私はパフォーミングアーツに熱中しているため、東京で生活しています。今ではその分野の指導も行っていますが、私にとって、多聞台のコミュニティは今でも大切な存在です。数ヶ月前、JETプログラムを終了する人たちの将来設計をサポートするため、キャリアメンタリングワークショップを彼らと企画し、講演を行いました。このワークショップは、惠里さんがJETを離れる友人たちのニーズを汲み取り、現場から生まれたアイデアです。
また、関東の大学で私が担当しているプロジェクト構築やアクティビズムに関するオンラインワークショップにも、彼女を講師として招きました。今後も様々なプロジェクトで互いに協力していきたいと考えています。
私は、可能な限りカフェ「TCC Holidays(ティーシーシー ホリデイズ)」を訪れています。最近、現役のJETプログラム参加者に「どうして東京からわざわざ、長いバスの旅をしてまで静かな神戸の郊外にあるカフェに来るの?」と笑われました。
しかし、この地味なカフェには、大都会では味わえないものが隠されています。一歩足を踏み入れれば、お茶を楽しむ定年退職者の隣で宿題をする子どもたちの姿が見られるかもしれません。生け花を習っている外国人、日本語を勉強している外国人、テイラー・スウィフトに夢中になっている外国人。そしてその隣では、日本の大学生やお母さん、サラリーマンたちが楽しくおしゃべりしたり、くつろいでいたりします。さらに、みんなが惠里さんに親しい友人として挨拶し、中にはテーブルの片付けを手伝う人もいます。私が参加した言語交流イベントでも、彼らは互いに敬意を払い、温かく接していました。
多聞台での言語交流の様子(photo credit: instagram @tcc_holidays)
このカフェはさまざまな困難に直面しています。惠里さんは、彼女の重要な協力者の一人がJETの任期を終えて日本を離れた後のことを心配しています。さらに、プロジェクトの目標は世界平和ですが、目標を達成するためには、神戸のカフェでの活動だけでは明らかに不十分です。
しかし、この場所は、アイデンティティに基づく互いの境界線を薄れさせ、多様な友人たちとの間で自分は自由になれることを実感させてくれる、特別な空間を提供してくれます。一歩足を踏み入れだけで、そのような気持ちになることができます。
昨今のニュースで、地平線が戦雲に覆われている様子を目にすると、無力感を感じてしまいます。私がこの無力感を解消するための一つの方法は、コミュニティカフェでコーヒーを飲みながら、19世紀のペルシャの精神的指導者アブドル・バハの言葉を思い出すことです「平和はまず個人の間に築かれ、最終的には国際的な平和へと繋がるべきである。」
日本インフルエンサーからの視点
JETの経験が日本のPRに役立つ
JETプログラム参加者は、ユニークな視点から、観光の枠を超えて日本の様々な地域に没入しています。静かな島村から賑やかな大都会まで様々な派遣先があり、それぞれの独自の文化の違いや挑戦を直接体験しています。任用団体のサポートにより、JETプログラム参加者は貴重な知見を得ることができ、世界中の人々とユニークで本質的な魅力を共有する制作者にとって理想的な考え方を得ることができます。
私は、三重県の多気町に行くことになりました。当初、私は三重県のことをほとんど知りませんでした。現在、私がインフルエンサー(Instagramで “YamaTrips “として活動しています)として成功したのは、JETとして多気町に滞在したおかげです。多気町での経験は日本について何を宣伝するかを想像し、自分の影響力を理解し、ネットワークのつながりを形成のための指針になりました。
三重県での国際交流員として過ごした4年間で、私は幅広いネットワークを通じて、地域のチャンスや課題などについての様々な知識を得ることができました。課題としては、人口減少や若い人材を雇用する機会が制限されていること、グローバル化への障壁、効率を下げる伝統的な働き方が挙げられます。しかしこうした課題がある一方で、私は数えきれないほどのチャンスがあることも発見しました。
私が三重県にいて分かったことは、商品の品質が非常に高いことです。丹精込めて作られた米や繊細な酒造り、松阪牛の飼育、そして職人技による伊勢神宮の再建など、この地域で生産される商品には、最大限の献身が込められていて、品質を何よりも重視していまいした。しかし、地元産品は露出が少ないため、評価されず、売れ残ることが多いです。そこで、インフルエンサーとしての重要な役割を果たす機会があります。それは、これらの宝物を世界に売り込み、生産者と消費者のギャップを埋め、その価値が世界的に認められ、評価されるようにすることです。
日本の地方が衰退し、小さな町や村が驚くほどのスピードで消滅していく中で、あまり知られていない地域を振興することがますます重要となっています。地域活性化の新たな可能性を探すことは、特に地域経済、文化振興、人口回復のために重要なことです。
昨年11月、私はインフルエンサーとして三重を再訪しました。Instagramのストーリーズとリールを通じて、三重の本当の美しさと魅力を共有したところ、世界中で600万回以上再生されました。これは私と地元の人たちに、三重には世界に通じる魅力があることを証明するものであり、地元の人たちがより広い国際的なつながりと機会が得られることを期待させるものでした。
例として、伊勢志摩の渡鹿野島という小さな島での経験を話します。島の観光活性化のために大手ホテルチェーンに招かれ、私は2日間滞在しました。人里離れた島であり、地元以外での認知度は低かったですが、私は外国人観光客がこの島での時間を大切にしてくれると確信しました。その結果、Instagramのリールは大きな注目を集め、100人以上が訪問に興味を示しました。この経験を通じ、私は渡鹿野島のような隠れた魅力が日本各地に存在し、語り部がその物語を披露するのを待ち望んでいることを再確認しました。
インフルエンサーとしての私の使命は、日本のあまり知られていない側面に光を当て、経済活性化を促進し、新たな関係性を構築することです。最近では、大手旅行代理店から山梨県内の10都市を紹介するよう依頼されるなど、様々な組織と協力する機会に恵まれました。また、地域活性化のコミュニティから青森県十和田市や福島県喜多方市など東北の特集を組むよう依頼されました。これらのコラボレーションは、日本中の地域が同じような課題に取り組んでいるという共通の傾向を浮き彫りにしています。人口減少が進む中、国内観光だけでなく、世界にむけてもアピールすることへの需要が高まっていることから、より幅広い経済支援が必要とされています。あまり知られていない観光地ではありますが、それぞれの地域には世界的に注目されるべき独自の文化や伝統があり、成長と発展の新たな機会をもたらしています。私は日本のどの地域にも、人々に注目されるに値するものがあると確信しています。
現在、ソーシャルメディアは、かつてない規模で情報を発信する力を人々に与えています。私のJET時代の後悔があるとすれば、あの時にソーシャルメディア・チャンネルを始めなかったことです。繰り返しになりますが、JETの経験は私たちにユニークな視点を与え、他の外国人居住者や旅行者が開けられないドアにアクセスさせてくれます。日常生活、英語や日本語の学習、視点、食べ物、地元の冒険、空き家、インタビューなど、人々は日本のあらゆる側面に興味を持っています。
現在JETに参加している皆さんへのメッセージは、今この瞬間を捉え、自分の住んでいる地域を深く掘り下げ、その豊かさを広く世界に発信してほしいということです。皆さんの体験は、認識を形成し、ひらめきを与え、日本全体の経済的多様化と文化的豊かさの触媒となる力を持っています。このような活動は、地域の振興に貢献するだけでなく、日本でのキャリアの幅を広げることにもつながります。
もし助けが必要なことがあれば、私は喜んでお手伝いします。Instagramからご連絡ください。
ポストJET効果
絶え間ない機会の贈り物
バレエ団に入団したラグビー選手がいるなんて話を聞いたことがありますか?
私もJETプログラムに参加するまでは、そんな話を聞いたことはありませんでした。そして10年後、「ポストJET効果」がオリンピックの柔道にまでつながるなんて、考えもしませんでした。
JETに参加する前、私はブリストル王立小児病院で小児腫瘍学チームのコーディネーターとして働き、地元のヤットン・ラグビークラブで背番号14のウィングとしてプレーしていました。2008年、23歳の時、ノース・サマセットでの「のんびりした生活」を離れ、JETプログラムでの冒険を始めました。
秋田県ではALT(外国語指導助手)として4つの高校で教え、「茶道」を学び、日本語の勉強に励み、土崎みなと祭りに参加するなど、地元のコミュニティにもどんどん馴染んでいきました。数年後には、そこでの生活にも慣れ、心から楽しんでいました。
毎週木曜日は五城目高校で教えていました。ある朝、私が授業の準備をしていると、突然、校内放送が流れました。「マーク先生、マリサのお母さんが受付に来ています」。静かだった職員室で、全員が一斉に私を見ました。実は、このような「呼び出し」を受けることは今までなく、とても珍しいことでした。
なぜ彼女は私に会いたいのでしょうか?自然と最悪の事態を想像してしまいました。マリサを怒らせてしまったのか、それとも文化的なタブーを犯してしまったのか…。緊張しながら席を立ち、受付に向かいました。笑顔で「挨拶」をし、お辞儀をすると、彼女のお母さんは一枚の紙を手渡してきました。誤字脱字はあったものの、内容はだいたいこう書かれていました:
「最近、娘がハンサムな先生の写真を見せてくれました。もしよろしければ、私たちのバレエ公演『ひまわり』の練習に参加して、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ役を演じていただけませんか?」
驚いたなんてものではありません。言葉を失いました。思わず笑い、どう返事をすればいいのか考えを巡らせました。私自身、アクティブな方ではありますが、ダンスなんて一度もしたことがありませんでした。バレエ?そんなもの、マスターするには何年もかかるでしょう!どうして私に…? それでも、マリサと彼女のお母さんはバレエの先生である棚橋先生と相談し、この手紙を準備してまで私に頼んでくれたのです。断るわけにはいきません。
その後の6~9ヶ月間、仕事が終わってから2時間かけて秋田県能代市の棚橋バレエスクールに通い、週に2回、夜遅くまで練習していました。ひげを生やし(これはそのままにすることにした)ながら、耳を切らずに済んだことに感謝しました。
棚橋先生は感謝の気持ちを込めて、練習が終わると毎晩手料理を振る舞ってくれました。バレエを本格的に習ったとは言えませんが、バレリーナと一緒に踊れるようにはなりました。公演は大成功でした。言うまでもなく、JETプログラムに参加していなければ、このような機会は得られなかったでしょう!
JETプログラムに参加してから5年後、私は友人と秋田市で「カフェ・アルマダ」という店を開きました。しかし、約1年後、彼は私立の英語学校に就職することになり、私は2014年に店を閉めてイギリスに戻ることにしました。最初はブリストルに移り、数年後にオックスフォード、さらにその後グレーター・マンチェスターに移りました。棚橋先生とは年に一度ほど、近況報告のメッセージを交わす程度でした。
そして2023年11月、棚橋先生からメッセージが届きました。「1月に夫と一緒にイギリスに行く予定です。もし機会があればお会いできたら嬉しいです」。コロナ禍を経て、久しぶりに再会できることにワクワクしていました。しかし、旅行の計画を詳しく聞くと、棚橋先生がマンチェスター近郊のセール柔道クラブを訪問したいという、少し変わったリクエストがあることがわかりました。再び「JET効果」が現れたのです!
2024年1月、私は棚橋先生のご家族の通訳や翻訳を手伝い、セール柔道クラブの3人の生徒、デーブ・ニコルズ、ジョー・ペデン、リチャード・グールディングの話を聞くことができました。驚いたことに、棚橋先生のご主人は故・保坂昭典八段(1938-2010)の甥でした。保坂先生は1962年、24歳の時に柔道協会のコーチとしてイギリスのミドルトンに来て、イギリス柔道協会の全チームを打ち負かしました。しかも、試合が始まる前にどうやって勝つかを彼らに言いながら戦ったのです!
1972年にセール柔道クラブのチーフコーチに就任し、1983年にはBJA(英国柔道協会)ナショナルスクワッドのテクニカルコーチに任命され、1994年には主任試験官になりました。その功績は驚くべきもので、彼の精神は、彼の技術体系を継承する全国800人以上の柔道コーチに今も受け継がれています。中でも、1980年にイギリス初の世界チャンピオンとなったジェーン・ブリッジは、保坂先生の影響を強く受けた一人です。イギリスの柔道が今日の姿であるのは、保坂先生のおかげです。
23歳で世界に飛び出す前、将来何が待っているのかほとんど知らなかった当時の私は、バレエに携わりながら英国柔道に関わることになるなんて「そんな馬鹿な」と笑い飛ばしていたに違いありません。しかし「JET効果」は私の人生に今も響き続け、特別な「機会の贈り物」と新たなつながりをもたらし続けています。外国語指導助手という一見地味な仕事から、これからさらにどんな発見が待っているのか、とても楽しみです。
壱岐島:神々の島
霊的な意味を持つ古代の日本の島
はじめに
トレバー・ウエストです。2019年から2021年までの2年間、JETプログラムの参加者として壱岐島に住み、働いていました。壱岐市役所観光課に所属し、国際交流員として主に日英翻訳・通訳、アメリカ文化イベントの企画、そして英語教育などの業務に携わっていました。
壱岐島について一言で言うならば、「神々の島」です。
アメリカでは “神(God)” という言葉は主にユダヤ・キリスト教的な意味合いを持っていますが、日本語の “神” は英語の “spirit” や “soul” に近い意味を持っています。日本語で “神”(かみ) と言い、敬語では “神様”(かみさま)と呼ばれます。これは日本固有の宗教である神道に由来しています。
先日、日本人の同僚と話している中で、私が以前に理解していたよりも詳しい説明をしてもらいました。基本的に、日本の神道の世界観では、すべてのものには魂や霊、または神が宿っていると考えられています。これは通常、自然界や草木、生き物などの生きているものに限定されますが、物質的なものにも当てはまります。例えば、私が10年以上愛用している腕時計にも、神や霊が宿る場所と考えられます。
この背景を説明することで、日本とアメリカでのスピリチュアルや宗教的な体験の根本的な違いが見えてきます。日本では、精神や神がどこにでも存在すると考えられており、特に神社ではその考えが顕著です。神社では、霊的なエネルギーを集めて統合する場所として、神や精霊のエネルギーの中心とされています。
壱岐島には公式に認められている神社が120以上ありますが、非公式な神社も含めると、島には約300の神社があると推定されています。
神社は、物質世界を離れ、霊的な世界に入るとされる神聖な場所です。この場所では、その神社の神や霊と交わり、願い事や祝福をお願いしたり、呪いを解いてもらったりすることができます。
壱岐島は、自然の美しさや美味しい食べ物だけでなく、その根底にある日本の精神、つまり神道の精神と深く結びついているため、非常に興味深い場所です
壱岐島 – 神々の島
日本の古代史を詳しく記した『古事記』によれば、壱岐島はイザナミとイザナギの2柱の神によって創られた4番目の島とされています。
公式な歴史記録だけでなく、壱岐島には今日まで受け継がれている生きた民間伝承も数多くあります。記録だけでなく、壱岐島には多くの伝承が存在します。
まず、月讀神社は、月の神であるツクヨミを祀ったのが始まりとされています。また、この神社は、2,000年以上前に神道そのものが始まった場所とも言われています(詳細は英語と日本語で紹介されています)。
次に、島自体が生きていると言われており、イザナミとイザナギによって創造された後、島が世界中を移動しないように、島の周りに8本の柱を立てて固定したとされています。観光客に人気の柱のひとつは「左京鼻(サキョウバナ)」と呼ばれています。
3つ目の伝承として、島には本物の龍の霊や神が宿る3つの龍神社があると信じられています。それらは龍蛇神社、赤瀬鼻神社、そして龍光大神です。龍光大神は、毎年島根県の出雲大社で行われる例大祭の際に、日本中の神々を背中に乗せると言われています。また、龍光大神は7本の指を持つ龍神で、天と交信することで願いを叶えるとされています。
最後に(伝承はまだまだありますが…)、男嶽神社は神々が初めて地上に降り立った場所とされています。これは「御柱(おんばしら)」と呼ばれ、英語で「天の柱」と似た意味を持ち、文字通り天と地を結ぶ場所とされています。
結論 – なぜ重要なのか
壱岐島は私にとって特別な場所です。
言葉や写真だけでは、実際に神社や自然の場所に行ったときの生きた感覚を伝えることはできません。まるで『ゼルダの伝説』のような物語から飛び出してきて、自分の目で見ているような感覚です。この島の歴史は、中国やアジアとの古代の交易が行われていた数千年前の日本最古の時代から、それ以前の『古事記』に記されている神話の起源にまで遡ります。
美味しい魚、きれいな海、優しい人々……壱岐島について語られることはたくさんありますが、壱岐島を本当にユニークで貴重な場所にしているのは、人々と土地に根付いた豊かな歴史的・精神的なつながりです。現代の忙しい生活で地球とのつながりが薄れつつある中、海や鳥居を眺めるだけで、思わず息を呑む瞬間が訪れることでしょう。
(この記事は、古墳については触れていない)