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JET Streams – 第58号(2024年冬号)

JET Streams – 第58号(2024年冬号)



クレアコーナー 自治体国際化協会からの記事、お知らせ
2024年の冬号へようこそ!
自治体国際化協会(CLAIR)JETプログラム事業部

いつもJET Streamsを読んでいただきありがとうございます。JETプログラム事業部です。

今年の夏と秋はどのように過ごされましたか?

あっという間に日本は本格的な冬を迎え、年末年始の季節となりました。寒い日が続き、あの夏の暑さがまるで嘘のようにすっかり消えてしまいました。

さて、今号も盛り沢山の記事をお届けします!

今号では、CLAIRが11月に開催したJETプログラム終了後キャリアサポート事業の「JETプログラムキャリアビジョン研修(Career Vision Conference, CVC)」および「日本式就職活動の基礎ウェビナー」、そしてJET経験者のデータベースについて掲載しています。また、JET経験者からの記事もたくさん掲載しております!

JETの任期満了後に、JETAAへ入会し、そこでの活動経験について語るJET経験者の記事や、JET終了後も日本とのつながりを大切にしているJET経験者のストーリーなどを紹介しています!

今号も、これらの記事が皆さまにとって楽しく有益なものであることを心より願っています。もしご自身のストーリーについても共有を希望される場合は、以下のリンクから詳細をご参照ください:

皆様にとって心に温まる素晴らしい冬と平和な年末年始をお祈り申し上げます。
また春号のJET Streamsで会いましょう!

JET経験者データベース
Staying Connected

JETプログラム経験者の皆さん、もう一度JETコミュニティに貢献してみませんか?CLAIRとともに、現役JET参加者をサポートし、次世代のJETを支える力になりましょう!

CLAIRでは、JET終了後のキャリアに役立つ研修会やイベントに協力していただける、さまざまな経歴を持ったJET経験者を随時募集しています。例えば、JET終了後のキャリア相談、CLAIR主催のイベントでの講師やゲストスピーカーとしての参加、CLAIRの出版物での執筆などのサポート方法が挙げられます。さらに、JET経験者の皆さんのスキルや経験を活かした新しいサポート方法の提案も大歓迎です。

JETコミュニティとの再接続や貢献に興味がある方は、ぜひ「JET経験者データベース」にご登録ください。登録方法や詳細は、下記のリンクをご覧ください。

https://jetprogramme.org/en/former/staying-connected/

JETプログラム終了後キャリアサポート事業
令和6年度CVCと日本式就職基礎ウェビナー

JETプログラム参加者および経験者の皆様に、就職活動やその準備に関する情報や心構えを提供し、JETプログラム終了後の生活をより充実させることを目的として、毎年「JETプログラムキャリアビジョン研修(Career Vision Conference, CVC)」および「日本式就職活動の基礎ウェビナー」を開催しています。

本年度の研修は、11月16日(土)および17日(日)の2日間にわたりオンラインで実施し、合計918名の方々にお申込みいただきました。キャリアビジョン研修では、教育、観光・旅行、翻訳・通訳、進学など、10の多様な業界で活躍する国内外のJETプログラム経験者をパネリストに迎え、各業界の状況や進路決定までの道のり、心構えなどについて、パネルディスカッション形式でお話を伺いました。また、総務省の方に地域おこし協力隊の活動についてご紹介いただきました。各パネルディスカッション終了後に行ったパネリストと参加者が交流できるオンラインネットワーキングでは、活発な意見交換がなされていました。


「クリエイティブな職種」のパネルディスカッション

さらに、研修の2日目の17日には、日本での就職を希望するJETプログラム参加者及び経験者向けに、「日本式就職活動の基礎ウェビナー」を行いました。このウェビナーを通して、履歴書の書き方、面接時のマナーなど日本での就職活動に役立つ具体的な知識や情報を学びました。

今回の研修が、参加者にとって、JETプログラム終了後のキャリアをより明確に思い描き、充実した生活を送るための一助となることを願っています。また、今回国内外から参加していただいたパネリストの皆様にこの場を借りて感謝申し上げます。

JETプログラム終了後のキャリア支援については、以下のリンクからご確認いただけます。

https://jetprogramme.org/ja/careersupport/

JETプログラムのSNSをフォローしましょう!

最新情報やイベントのお知らせを把握するために、JETプログラムの公式SNSをぜひフォローしてください。公式SNSは、JETプログラム参加者や経験者とのつながりを広げる場としてもご活用いただけます!

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JETの向こう JET経験者からの記事
JET終了後も日本とのつながりを続ける
JETAA支部に参加しよう!

日本から帰国してよく耳にしたのは、JETで身につけた日本語が使えなくなることを心配している人が多いということでした。ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルバニアといった国際色豊かなJETAANYの地域であっても、積極的に取り組まない限り、日本語を使う機会を見つけることは難しいかもしれません。というのも、JET経験者の全員が日本企業に勤めたり、日本人の家族と交流したりする機会があるわけではなく、西海岸のようなリトル東京があるわけでもないからです。それでも、多くの同窓生が日本とのつながりを保ち続けたいと願っており、その最良の方法のひとつは、やはり言語だと私は信じています。

パンデミックの中、私は「にほんごだけ」というZoomでのオンラインの日本語会話イベントに参加しました。このイベントは、当時のJETAANYの語学委員長であるジュゼッペ、通称ジョーが主催しており、語彙クイズやしりとりのような言葉遊びも含まれている日本語会話イベントです。ある日、ジョーから退任の知らせを受け、後任を引き受けてほしいと頼まれました。これは自分の勉強だけでなく、「にほんごだけ」を利用する他の人たちが学び続けるためにも良い機会だと考え、引き受けました。それから約3年にわたり、ほぼ毎週月曜日の夜に司会を務めることになりました。パンデミックがほぼ収束した現在では、オンラインとオフラインの両方で100回以上の「にほんごだけ」イベントを主催しました。

Playing the shiritori board game

私が主催した「にほんごだけ」のセッションでは、オンラインでの会話や、さまざまなしりとりゲーム、漢字の読み方が付いたNHK News Web Easy(NHKやさしいことばニュース)と漢字の読み方がない普通のNHKニュースウェブの音読練習を中心に学習を行いました。これにより、語彙を覚え、読んだ記事から会話のトピックを提供することができました。また、日本語を勉強している方であれば、JET経験者に限らず誰でも参加できるようにしました。Zoom以外の時間には、公園や公共スペースで軽食を楽しみながら、シリトリミットという10分間という制限時間内に終わらせるしりとりのボードゲームやカタナシというカタカナを使わずにカタカナの言葉を表現するゲーム、モノポリーなどのボードゲームを楽しみました。

これらのことから、私は「言語」を通じてアメリカと日本のつながりは維持されるものだと強く感じます。言語はコミュニケーションを通じて人々を繋ぎ、言葉の意図を読み取る力、多文化環境に触れる機会、そして自分と同じ興味を持つ人々と社会的に繋がるといったソフトスキルを身につけることができます。これらは、交友関係や就職活動において大いに役立つと思います。学んだ日本語を忘れないための一つの方法として、地元のJETAAグループに参加し、言語に関する活動があるかどうか確認することをおすすめします。もし活動がない場合は、単発のイベントでも定期的なものでも構いませんので、何か企画を提案したり、主催に興味がある人がいないか聞いてみたりすると良いと思います。例えば、日本語を使った食事ツアーや、日本語でのランチやディナーなどの参加者ができるだけ日本語を使うイベントなどが考えられます。JETを終えた後も、皆さんの繋がりの旅が素晴らしいものになることをお祈りしています!

Ashley Matarama

About the Author

Ashleyアシュリー Mataramaマタラマ
ALT 2014年~2016年
京都府

アシュリーは、JETAAニューヨーク(JETAA NY)の元日本語委員長(Language Chair)です。彼女は、会話、音読、そしてボードゲームを通じて日本語スキルを向上させたいJETプログラム参加者と経験者、そして日本語の会話力を練習したい方々を対象に、「にほんごだけ」という定期的な会話練習セッションを主催していました。彼女はニュージャージー州出身で、アートやビデオゲームが好きです。

SNSリンク:
https://www.facebook.com/ashley.matarama
JETAA効果
コミュニティー活動を通じた成長と機会の振り返り

「本みりんがあった!大きいのがあったよ!」

私のパートナーが1.8Lのガラス瓶を抱えながら勝ち誇った顔で近づいてきました。カナダのミシサガで開催されたジャパン・フェスティバルの、蒸し暑い8月の午後の出来事でした。

「本当は小さいのしか売ってなかったけれど、これが飾ってあったの。私が買いたいと伝えたら、買わせてくれたんだ!私の後ろにいた人も買いたかったみたいだけど、これしかなかったんだよ」と彼女が言いました。

私は彼女が幸運に巡り合えたことに感動しました。私たちは3ヶ月前に日本から帰国したばかりで、帰国前にみりんを買わなかったことを後悔していました。トロントのような都会では、ほとんどの食材を手に入れることができますが、地元のアルコール規制によって、本みりんを見つけるのはとても難しいのです。私は彼女がどこでこの珍しいみりんを見つけたのか尋ねてみました。

「モントリオールの人が売っているわ!彼はフランス系カナダ人だけど日本語が上手なの。彼のブースを覗いてみようよ」。

しかし、湿度はピークに達し、上空には暗雲が立ち込め、今にも降り出しそうな空模様でした。私たちは車の中でブルーハワイのかき氷を食べながら、激しい雨が落ち着くのを静かに待ちました。やがて晴れ渡った空の下、ブースに到着すると、数年ぶりに会う懐かしい顔が出迎えてくれました。

「お久しぶりです!」

そこには、モントリオールで開催された2019年JETAAカナダ会議(CanCon)で会ったみりん商のサムがいました。

「髪が長くなったね!」と彼は答えました。

「まさか、もう知り合いだったなんて……」と彼女は少しがっかりした様子でした。私は同情の視線を送りながら、軽く肩をすくめました。サムは笑いました。私は彼女に「JETAAだよ」と言い、サムも頷きました。そのあと、私たちは、この5年間を振り返りました。

サムとはJETAA会議でほんの数回だけしか会ったことがありません。しかし、私たちはかなり気が合ったので、お互いのことを懐かしく思いました。JETAAのつながりはすぐに深まる傾向にありますが、これはJET参加中に築いた友情とは異なるものだと感じます。私たちは皆、JETを終了し帰国した後は、別々の道を進んでも何らかの形で地元のJETAA支部を通じてつながりを保ちたいと考えた人々の集まりです。そのため、見ず知らずの間柄であっても、すぐに共通点と相互理解が生まれました。それは国や文化、言語、世代も超えたものです。これがJETAA効果です。

すべてのJET参加者は、20か国に50の支部を持ち、70,000人以上の会員を擁するJETAAのグローバルネットワークに属しています。多くのJET経験者はJETAA支部に参加し、その中には委員会に参加する人もいます。JETAA支部では、率先して活動を行い、できる範囲で地域社会をサポートしています。JETAAに参加し続けるには努力が必要で、支部はよくバーンアウト(燃え尽き症候群)や会員募集の低迷に悩まされます。大規模な支部ほどこの傾向が強いようで、凝り固まった考えで徒党を組んでいるだけのように見えることさえあります。しかし、これらはどのボランティア組織にも共通する問題でもあります。ほとんどの場合は、参加することはやりがいのある経験を得ることにつながります。さまざまな理由、さまざまな熱量で参加者が集まり、さまざまな成果が生まれます。しかし、JETAAはその根幹としては、楽しく、協力的なボランティア組織であることに変わりはありません。JETAAは、「Act Local, Think Global (ローカルに行動し、グローバルに思考する)」という格言を体現する力を与えてくれます。JETAAは私たちと日本をつないでくれますが、それと同じくらい重要なのは、私たちはそれぞれに違いがあるのにもかかわらず、互いにつながっているということです。JETAA効果は人々をひとつにします。

JETAAは私のJETの出発前オリエンテーションを実施していたこともあり、私は2015年のJET終了後のイベントに参加することを熱望していました。不利な就職活動で職を失った私は、ネットワークを作るために2016年にトロント支部に入会しました。空いているポジションは何でも引き受けると決意し、ウェブサイト・コーディネーターに就任しました。ノウハウは全くありませんでしたが、独学で仕事を覚え、3年間勤めた後、2019年に財務担当に就任しました。同年には地元支部の支援を受けてカナダ代表に立候補し、当選することができました。この役職は、財務担当の仕事と合わせて、財務報告やガバナンスについて実践的に学べたため、濃密な経験となりました。当時は日本の政府機関で働いていたこともあり、その経験を活かして国内外のJETAAイベントでもカナダ代表として役割を全うすることができました。

2019年後半はとてもイベントが多い年でした。8月にモントリオールで開催されたCanConに参加した後、9月はアメリカ地域会議(NatCon)のためにシカゴへ、そして11月には国際会議のために東京にも行くことができました。それがJETAAの国際支部であるJETAA-Iとの初めての出会いでした。東京ではJETAA効果が感じられ、世界中の代表者と有意義なつながりを持つことができました。その場に居合わせることができたのは非常に光栄なことで、もっと頑張ろうという意欲が湧いてきました。その勢いに押され、私は国際副委員長に立候補し、衝撃的なことに、僅差で当選を勝ち取ることができました。

1年も経たないうちに、私は地元のウェブサイトを更新する役職から、世界の会員を代表する国際的な役職にまで上りました。世界的パンデミックによって世界の大半が封鎖され、私が副委員長を2期務める間、海外の人々は日本を訪れることができませんでした。それでも、当初の出来事は私に強い印象を残しました。2019年のJETAAコミュニティーは、新鮮な視点や斬新なアイデアに飢えており、新しい参加者にもチャンスを与えようとしていました。それは今でも変わりません。周囲に影響を与えたいと考えている同窓生はその呼びかけに耳を傾けるべきだと思います。

私は今でも時々JETAAのイベントに参加し、オンラインで同窓生と交流していますが、8年間も積極的に関わってきたこともあり、そろそろ身を引くべきだろうと考えています。私は現在、トロントにある、カナダに来たばかりの人々の定住を支援する歴史のあるコミュニティ組織の役員を務めています。正直なところ、JETAAの基盤がなければ、私はどうしようもなかったでしょう。JETAAの地域支部は、リスクを恐れずに挑戦ができる、可能性に満ちた場所です。アイデアを試したり、スキルを磨いたり、経験豊富で人脈のあるプロフェッショナルなOBから学んだりすることができます。JETAAは、少し努力すれば、プロとして成長し、個人としても成長できる、他に類を見ない機会を提供してくれる場所であると自信を持って言えます。当初は仕事の見通しを良くしたかっただけでしたが、JETAAに参加し続けた結果、一生の思い出と豊富な経験を得ることができました。

結局のところ、コミュニティはただ生まれるものではありません。私たちは絆でコミュニティを作り、自分の選択でコミュニティを形づくることができますが、更新がなければ、コミュニティはもろくなり、変化への耐性が弱くなります。私のJETAAの歩みを分かち合うことで、同窓生がJETAAに参加し、得られる機会を最大限に活用することをお勧めします。お互いに連絡を取り合い、JET効果を感じることを忘れないでください。JETAAの仲間たちと一緒に、自分が参加したいと思うコミュニティを作りましょう。

一度JETに参加すれば、無限大の可能性があります。振り返れば、自分がどれだけ高く飛べているか驚くでしょう。

Andrew Massey

About the Author

Andrewアンドリュー Masseyマッシー
ALT 2013年~2015年
長崎県

アンドリュー・マッシはトロントのダウンタウンを拠点に活動する編集者・ライター。2016年から2024年までJETAAトロントの執行委員を務め、ウェブサイトコーディネーター、財務担当、共同会長、シニアアドバイザーを務めた。JETAA-Iにも所属し、カナダ代表を1期、国際副委員長を2期務めた。昔は熱心な旅行者だったが、今は気ままな冒険、とてもおいしい食べ物、ソファで眠りにつくことに熱中している。執筆や編集以外の時間は、完璧なラーメンを求めて巡礼の旅に出ることを夢見ている。

SNSリンク:
https://www.linkedin.com/in/avmassey/
食べ物だけではない
こども食堂:日本の地方におけるコミュニティの強化

まさか日本の児童福祉の職員が私のアパートを訪問することがあるとは思ってもみませんでした。

私が緑茶を淹れている間、夫と幼い娘と3人で暮らす徳島県の田舎のアパート一室を、徳島県中央こども女性相談センターの職員2人が見まわしていました。そして、彼らは質問事項がたくさん書かれたクリップボードを持ってキッチンのテーブルに座りました。


「つなぐ」の入り口

一人の職員が「いつからミキを知っていますか?」と質問してくると、

「3年ほどです」と私は答えました。

もう一人の職員が「彼女との出会いのきっかけは?」と尋ねてくると、

私は「こども食堂です。」とすぐに答えました。

こども食堂は、英語では「children’s cafeteria」と訳され、日本では広く知られている運動です。2023年には、こども食堂の数は全国で9,131軒と報告されており、2022年から1,769軒増加しました。NPO法人むすびえの推計によると、年間1,584万人が「こども食堂」を利用しており、その内、子どもの数は1,091万人です。各団体が提供するサービスは様々ですが、一般的に地域のボランティアによって運営され、こども食堂は子どもたちに無料で食事を提供しています。

私は単なるボランティアではなく、こども食堂の創設メンバーの一人でした。JET参加者として3年間過ごした後に、(一時帰国してから)徳島に戻り、結婚しました。2020年のパンデミックの時に、アメリカ人学生に食事を届けた経験談を聞いた私のJET時代のJTE(日本人英語指導員)が、「こども食堂」を立ち上げようと声をかけてくれました。もう一人の設立メンバーとともに、私たちは正式に「こども食堂」を立ち上げ、そこを「つなぐMima World Community」と名付けをしました。


出来上がった「つなぐ弁当」

「つなぐ」は日本語で「繋ぐ」という意味です。「つなぐ」では月に3回、土曜日に子どもたちに無料のランチを提供しています。地元の団体やスーパーから集められた商品や、地元の農家から寄付された新鮮な野菜や果物で食料庫を運営しています。また、コンサートや毎年開催されるチャリティ・ランなど、年間を通して無料の特別なイベントも開催し、おいしい食事を提供しています。

しかし、つなぐが提供するのは食事だけではありません。地域住民に職場や学校、家庭とは異なる「第三の空間」を提供する場所でもあります。そこは世代間の交流を促進する場でもあり、年配の女性が中学生に季節の料理の作り方を教えたり、小学生が幼児と一緒に遊んだりする機会を提供しています。また、地元のJET参加者がボランティアでランチの準備を手伝ったり、「カンボジアの地雷除去」から「鳥に優しい窓の作り方」まで、様々なテーマのワークショップを世界中の専門家が開催したりするなど、さまざまな文化や知識と交流できる場でもあります。この場所では肩書きや職業上の役割を離れ、単なるコミュニティの一員として集まることができる、温かい空間を目指しています。

日本の田舎は、均質で中間層の人々が多いというイメージがある一方で、実際には多様性や貧困も存在しています。私がALTとして勤務していた頃は、ホームレス問題を抱える生徒、言葉の壁に苦しむ生徒、あるいは虐待やネグレクトの影響を受けた家庭で暮らす生徒たちを指導する場面もありました。しかし、こうした問題に対して、日本人の教師であっても支援できる範囲には限界があることを痛感しました。

公立学校に20年以上勤務していたJTE(日本人英語指導員)は、弱い立場の生徒がどのように苦労しているかを熟知していました。彼女は厳しい仕事に従事している経験から、低所得の生徒、ひとり親家庭の生徒、障害のある生徒、日本人以外の生徒や混血の生徒には、学校だけでなく地域社会からのサポートが必要だと強く信じています。


ランチに集まっている子どもたちと家族

2021年に「つなぐ」を始めたとき、何年も前に教えた生徒の多くが「つなぐ」に参加してくれました。JETが終わって涙の別れを告げた後、再び会えるとは思ってもみなかった顔ぶれでした。今では、私はボランティアのシフトの前に生徒たちを迎えに行ったり、彼らの家までに食事を届けに行ったりしています。そんなわけで、ある日曜日の午後、私は児童福祉関係者からミキとの関係についてインタビューを受けていたのでした。

「つなぐ」でミキと出会ってから、私たちはすぐに親しくなりました。彼女の母親は依存症に苦しみ、入院していました。また、父親は不在でした。ミキはまだ15歳でしたが、荒れ果て、ネズミがはびこるようになった家で、ほとんどの時間をひとりで過ごしていました。

「つなぐ」のボランティアは彼女を援助することにしました。私のJTEは彼女を児童福祉相談所に連れて行き、私は彼女を温泉に連れて行きました。別の教師は彼女の服を洗濯し、雨の日にはコンビニのアルバイト先まで送り迎えをすることもありました。彼女が私のアパートに泊まることもありました。ある寒い夜に、仕事が終わった後に焼き鮭と味噌汁を作ってあげると、彼女は満面の笑みを浮かべながら「まるで私はあなたの子どもみたい」と言いました。その言葉は今でも忘れられません。

ミキは母親が亡くなった後、政府が運営する児童養護施設に移りました。ありがたいことに、その日、私たちのアパートの検査官は、彼女が私たちを訪問し続けることを許可してくれました。私たち家族が寝室を1つ増やした家に引っ越した後、私は彼女に「あなたの部屋が待ってるよ」とメールを送りました。



お母さんと赤ちゃんと一緒に

「つなぐ」は、お寺や公園、田んぼに囲まれた静かな地域にある公民館で活動しています。朝からボランティアが集まり、その日の昼食を準備します。私は地元のパン屋で買った日持ちのするパンと、和菓子屋から寄付された餅を両腕に抱えて公民館に到着し、受付の準備をしていると、外から子どもたちの笑い声が聞こえてきます。私は深呼吸をして、ここにいることがどんなに気持ちのいいことかを考えています。

日本の田舎で外国人として生活することは、孤立感を体験することにもなりえます。私は人ごみの中では目立つので、いつも違和感を感じます。

しかし、つなぐは私がありのままでいられる空間です。そこでは、私は外国人ではなく、私は私自身なのだと感じられます。私は1歳の娘が畳の上で他の幼児と遊んでいるのを眺め、年配の女性に抱きしめられたり、10代の少年たちにハイタッチされたりするのを見ています。ここは私たちがこのコミュニティに属しているのだということを思い出させてくれる場所です。

JET参加者として住んでいた頃、スーパーや駐車場で誰かが私を二度目をし、私の方を指差して「ガイジン!」と叫ぶのは珍しいことではありませんでした。私は外国人と呼ばれるのが嫌でした。

昨年、散歩をしていたとき、庭を通り過ぎる私を見た子供たちのうちの一人が私に向かって指を差しました。しかし、その時彼は「ガイジン!」ではなく「TSUNAGU!」 と私に声をかけてくれました。

Amber Bunnell

About the Author

Amberアンバー Bunnellブネル
ALT 2016年~2019年
徳島県

アンバー・ブネルは米国ミネソタ州セントポール出身の英語講師。日本、アメリカ、オンラインなど、さまざまな環境で第二言語としての英語を教えてきた。現在は徳島で小さな英語学校を経営し、夫と娘と暮らしている。地域コミュニティの強化と文化交流の機会を提供することを目的とした子ども食堂「つなぐ美馬ワールドコミュニティ」の創設メンバー。

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交流年数
JET経験者として交換留学生を受け入れる

再契約なんて無理だと思わせるような冬

「あなたの国で暮らす外国人に親切にしてあげてね」

これは私が交換留学で大阪府に滞在していたときに、お世話になり、辛抱強く指導してくれたホスト・マザーのクミコさんに対し、何か恩返しができないかと尋ねた時の答えでした。

彼女は私に「おかあさん」と呼ぶように言い、滞在中ずっと私を息子のように扱ってくれました。定期的に励ましの手紙を送ってくれたり、時にはおいしい料理(たいてい神戸牛)をごちそうしてくれたり、優しく叱咤激励をしてくれたりしました。クミコさんは、私にとって、初めての長期の海外生活を支える素晴らしい「ガードレール」のような存在でした。

私は彼女の願いを心に刻み、日本を後にしました。そしておかあさんの言葉を胸に、いつかまた日本に戻り、少しでも自立した生活を送りたいという思いを抱きながら、アメリカへと帰国しました。


2021年に来た私たちの初めての留学生の「カイくん」

それから1年後、JETプログラムは私の願いを(ほぼ)叶えてくれました。 オハイオ州中部の凍てつくような冬のなかで育った私は、沖縄や九州の温暖な気候の地域に派遣されることを望んでいましたが、秋田県北部の雪国町二ツ井町でALTとして働くことになりました。 長い冬を一人で過ごすのは不安だったので、冬が厳しかったら再契約はしないと心に誓いました。 その冬は、この地域が過去80年間で経験したことのない大雪に見舞われたと聞いています。車を安全に駐車し、家への通路を確保するために、毎日少なくとも1時間は雪かきをしていました。 秋田の冬の朝、目覚めると最初に目にするのは自分の息でした。日本語の勉強はしていたものの、みんな話すのが早く、方言も多くてついていけないこともありました。小さな町での食事といえば数軒のラーメン屋くらいで、ハンバーガーを食べるには車で1時間かけて大館市のマクドナルドまで行かなければなりませんでした。冬が終わると、二ツ井町が隣の能代市と合併したため、私は、仕事として14校を回るという忙しい生活を送ることとなりました。

それにもかかわらず、私はさらに2年間の再契約を行いました。そして、2008年に二ツ井町を去り、自分に与えられた挑戦、達成できた自己成長、そして出会ったすべての人々に感謝しました。 東京に帰る飛行機に乗った時、私はJETとしての体験が終わったのだと感じました。

そしてその年の冬、年賀状やカード、メールが私のもとに届きました。私は「JET効果」について特に意識していませんでしたが、短い交流の中で築かれたつながりが、生涯にわたる友情に変わったのです。時が経ち、かつての生徒たちが大人になるにつれて、何人かは私を探し出し、再会を望んでくれました。年に一度は、思いがけない人から驚きのEメールや手紙、SNSでの友達申請が届いたような気がします。少なくとも私にとって、JETプログラムは成田空港を離れたときには終わっていなかったのです。


ウェインくんがもっと笑顔で写真を撮るようになったきっかけとなった感謝祭の写真

しかし、時が過ぎ、気づけばキャリアを持ち、配偶者を持ち、家庭を持つようになった時、私は「次は何をしよう?」と自問するようになりました。私たちは家族を持ちたいと考え、いろいろと思案した結果、高校生の交換留学生を受け入れることに決めました。2012年にフィリピンからアメリカに移住し、2017年にアメリカ市民権を取得した私のパートナーと私は、交換留学生たちの苦労に共感し、彼らの成功を共に喜び、私たちとの時間を最大限に活用して支援ができる立場にあると考えたからです。柔軟性や忍耐力、同じ考えをシンプルかつ異なる方法で伝える力といったスキルは、すべてJETプログラムで培ったもので、今ではかけがえのない財産となっています。

私たちの最初の生徒、千葉県出身のカイくんは、初めて高校を見学した後、私の車の助手席に座りながら、広いキャンパスとネイティブな速さで自己紹介をする先生たちを見たためか、恐怖で固まっていたのを覚えています。


二人目の留学生が台湾へ帰国する前に撮った写真

「みんな早口でしゃべっているみたいだね」と尋ねたとき、彼はうなずきました。

「慣れてくるよ。」私は励ましました。そしてその言葉のとおり、カイくんはここでの生活に慣れていくこととなりました。帰国する頃、カイくんは物理のクラスで数人の親友を作っており、3年生の彼は微分積分のクラスメートの4年生たちを先輩と呼び、彼らから可愛がられていました。

それぞれの生徒が、別々の才能、課題、夢、目標を持っています。 台湾から来た2人目の留学生のウェインくんは、料理がとても上手で、アメリカの大学生になることを夢見ていましたが、とある写真で自分が笑っていなかったことを気にしていました。 感謝祭が近づいたとき、ウェインくんは私たちと一緒に撮った家族写真を見て、「笑い方を学ばないと」と言いました。しかし、私たちとの生活が1年経つ頃には、どの写真でもにこやかに笑う彼の姿が写っていました。


今年の横浜から来た留学生とパンプキン・カービング

ホストペアレントとしての経験は、「JETの後のJET」のようなものです。 生徒の成長を助け、困難な状況に一緒に取り組み、ホストファミリーに出会った頃よりも成長した子どもたちを社会に送り出すことにやりがいを感じます。 JETとは異なり、私たちには30人の生徒のための教室がなく、一人しか面倒を見ることができません。 しかし、私たちは生徒とより多くの時間を共に過ごし、一緒に生活し、家族の一員として迎え入れます。 そのため、生徒が成功するのを見るのはより充実したものだと感じます。 そして、彼らも私たちの生活に交流の機会を与えてくれます。 カイくんの親しい友人のひとりはドリーマー(ドリーマーとは「幼少期に親に連れられて不法入国した若者たち」を指す)です。 昨年、ノルウェー出身の留学生のアクセルはイスラム教徒の学生と仲良くなり、私たちはふたりをモスクまで送っていったこともあります。こういった出会いを通して、私たちの世界も広がりました。そして、ささやかながら、毎日、留学生時代のおかあさんの別れの頼みを実践することができています。

About the Author

Andyアンディ McCarthyマッカーシー
ALT 2005年~2008年
秋田県能代市二ツ井町

アンディ・マッカーシーは、日本の二ツ井町という小さな町で3年間、中学校、小学校、幼稚園のALTとして務めました。 現在はテキサス州のヒューストンの小規模なエネルギー法律事務所のパートナーです。 過去にはJETAAテキソマ(テキサス・オクラホマ)の会長として務めました。仕事、JETAAのイベント、留学生の受け入れ以外では、卓球を楽しんでいます。

SNSリンク:
https://www.linkedin.com/in/andyrmccarthy/
国境を越えた絆
生涯のつながり

私の日本への旅は、日本人留学生が私の故郷であるニュージーランドのインバーカーギルを訪れたことから始まりました。この偶然の出会いが、日本文化と日本語に対して生涯情熱を燃やすことになるとは、当時は予想もしていませんでした。

2003年に、私は日本人の温かさと親切さを実感する素晴らしい機会に恵まれました。姉妹都市である埼玉県熊谷市での相互交流を通じ、新しい文化に深く触れ、生涯の友人を得ることができました。そして、再び日本に戻りたいという強い思いが芽生えました。


生け花

ニュージーランドで教員研修を修了した後、JETプログラムを通じて自分の夢を実現するチャンスを得ることができました。熊本県御船町で、外国語指導助手(ALT)として高校生に英語を教え、ALT仲間や同僚と強い絆を築いた忘れられない2年間を過ごしました。熊本滞在中は、日本の生活を堪能し、「ベティちゃん」と名前を付けた私の小さな軽自動車で九州各地を巡り、熊本県のマスコットキャラクター、くまモンにも会うことができました。

日本滞在中、私は御船町にある高校とニュージーランドのオークランドにある高校との文化交流を企画する機会に恵まれました。この企画により、御船町の生徒たちはニュージーランドの文化を直接体験することができ、生徒たちは、地元の温泉を楽しむなど、日本の学校生活を存分に体験しました。彼らにとって日本での滞在は、忘れられない貴重な文化体験となったことでしょう。


折り紙教室

ニュージーランドに帰国してから、教師としてのキャリアを続け、メディア・スタディーズの担当教員となりました。すでに日本に住んでいなくても、和太鼓や生け花をしたり、勤務する学校を訪ねてきた日本の生徒や先生をもてなしたりして、日本とのつながりを保ち続けてきました。その後、このような活動がきっかけとなり、埼玉県熊谷市にある県立熊谷西高校との交流に参加する機会を得ることができました。2015年に私がニュージーランドから県立熊谷西高校へ16人の生徒を引率したことで、両校の結びつきは再び深まりました。これをきっかけに、私は勤務校で7年生と8年生に日本語を教えることになりました。授業の中では日本の文化や言葉を紹介しています。今年もまた交換留学の指導にあたる機会があり、(COVID-19のパンデミックが終息してから初めて)19人の生徒を日本に連れて行き2週間の体験型プログラムを実施しました。生徒たちはホームステイを通して日本の文化や習慣を体験し、日本語への理解を深めることができました。姉妹校である熊谷西高校は、日本の伝統芸能(生け花、書道、折り紙など)に関する授業や、県内各地への楽しい旅行など、滞在中に魅力的な日本の生活を体験できるよう、企画を立ててくださいました。学校での最終日には多くの生徒たちが涙を流し、皆、大きくなったら日本に戻ると誓いました。

この姉妹都市関係が成長し発展する様子を見守ることができたのは、信じられないほどやりがいのある経験でした。1993年に設立されたインバーカーギルと熊谷市の姉妹都市提携は、両地域社会の間に強い絆を育んできました。学生交流や公式訪問、熊谷友好協会の活動などが、31年以上にわたり続く、この持続的なつながりを支えています。


柔道教室

最近熊谷を訪れた際、最も心温まった瞬間のひとつは、旧友との偶然の再会でした。私を迎えてくれた先生に案内していただいた弓道場で、弓道の先生とお会いしました。自己紹介をすると、弓道の先生は、数年前にご自身がホストファミリーとしてニュージーランドから受け入れた留学生が私であることに気づいてくれました。そして、2002年に私の家族の家に滞在し、2003年に私が初めて日本を訪れた際、一緒に過ごした彼の娘「モエ」とも再会しました。21年ぶりの彼女との再会は、この国際的なつながりの強さと素晴らしさを改めて実感できる、感動的な出来事でした。

JET ALTとしての経験や姉妹都市交流への参加を通じて、私は文化交流がもたらすプラスの影響を目の当たりにしてきました。これらのプログラムは、理解と友情を育むだけでなく、異なる文化を持つ人々の間に生涯にわたる絆を生み出します。インバーカーギルと熊谷市の姉妹都市関係の強化に貢献し続けることができ嬉しく思います。また、JETプログラムが他の人々とつながり、日本への情熱を分かち合う機会を作ってくれたことに感謝しています。

About the Author

Lauraローラ Turnerターナー
ALT 2011年~2013年
熊本県御船町

ローラ・ターナーは誇り高きニュージーランド人であり、教育と文化交流にキャリアを捧げてきました。ローラの日本への情熱は、高校時代の交換留学で火がつきました。この経験は、日本文化にどっぷりと浸かりたいという彼女の願望を確固たるものにしました。JETプログラムを通じて、ローラは絵のように美しい熊本県御船町でALTとして充実した2年間を過ごしました。日本滞在中は、同県上益城郡の山間部にある4つの高校で教えました。ニュージーランドに帰国後、ローラは教師としてのキャリアを継続し、メディア・スタディーズの担当教員として、地元の高校で生徒に日本語を教えました。異文化理解の育成に力を注ぐ彼女は、2年に1度の学生交換プログラムの引率教師として2度来日しました。4歳の息子を育てる母親として、日本の素晴らしさを息子と一緒に楽しめる日を心待ちにしています。

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