スポットライト
■ 職種:ALT(外国語指導助手) ■ 都道府県:北海道 ■ 参加年度:2004年~2007年 ■ 出身国:カナダ
こんにちは!外国語指導助手(以下ALT)として北海道に配属されているSean(ショーン)です。妻のNancy(ナンシー)と息子のKeenan(キーナン)と3年目を迎えた。札幌から電車で二時間ほど離れている帯広市に住んでいる。契約団体は北海道だが、十勝教育局に所属している。5つの高校、養護高校と聾学校(小中)で教えている。2ヶ所には週に1回通っているが、後は1回限りの授業というペースである。年に4回しか行かない学校もある。一番小さい学校は約35人の生徒で、一番多い所では1,000人を超えている。
北海道の人口密度は低くて、田舎にはたくさんの町があっても、点々として散在している。私は英語教師とチーム・ティーチングという形で教えているが、いつもあっちこっちの道立学校を回っている。北海道にいる他の「ワン・ショットALT」もいつも出かけている。市外の学校まで1時間半もかけて通勤することもあれば、自転車に乗って15分で行けるところもある。
生徒が卒業するときに仕事のやり甲斐を感じるね。今年の卒業生は一年生から教えてきたので、卒業式は本当に楽しみである。彼ら1人1人の成長と進歩を誇りに思っている。卒業した人に会うと、いつも“ショーン先生”と呼んでくれる。
ブリティッシュ・コロンビア大学を卒業した後、日本に住んで、東アジア研究と美術史といった専門を活用したいと思って、JETプログラムに応募した。2回も応募した。1回目のとき、補充要員のリストに載った。どうせ受からないだろうと思って会社で昇進を選んだが、大間違いだった。3日後CLAIRから勤め口が空いたという電話があった。補充要員のリストに残れば、もう少し待っておいた方が良かったと気づいた。
最初から北海道に住みたいと思っていた。大企業の中間管理職に飽きて、ストックオプションを現金化して、数年間妻と一緒にカナダとメキシコを旅して、2004年に改めてJETプログラムに応募した。JETという経験に妻とともに立ち向かうことにした。日本で暮らすことになったら、一緒に行くことを決めていた。私はNancyが添い従うだけではなく、彼女自身もJETプログラムという経験を楽しんでほしかった。今、妻は帯広市の郊外でパートを見つけ、JETではなくても私と同じくらいに日本を体験し、楽しんでいる。おかげで、2年目と3年目の再契約をするかしないかのときに迷わずに決められた。
北海道は、カナダでいえば「ユーコン州」だが、ひと言でいえば、「日本のアラスカ」である。日本人にとっても、北海道とは手つかずの自然を楽しめる特別な場所である。北海道以外の日本人に北海道の話をすると、いつも「いいね」のひと言が返ってくる。ほかのJET参加者も北海道の生活に興味を示している。「南の人」にとって、北海道は野性的で、触られていない場所であり、涼しい夏と雪の多い、寒い冬で有名である。
最初に北海道の話を聞いたのは、カナダのロッキーマウンテンでヘリコプター・スキー会社の従業員として働いたときだった。それ以来、北海道に行ってみたいと思っていた。時に、大学で勉強した日本の美術と文化の宝物のある本州が良かったのではないかと思うこともあるが、東京に行くと気温34℃と湿度90%に耐えられず、早く帰りたいと思う。帯広市は私にとっての「帰れる場所」となっている。日本で一番美しい場所に住んでいると断言できる。カナダの美しい町に住んだこともあるし、たくさんの国を見てきたが、十勝には何ともいえぬ特別さがある。
私も妻も東奔西走している。転々と勤務先を変えなければいけない大学教授の父を持つ私は16才の時7つの町で暮らしていた。それで根をはやく張ることを学んだので、日本での生活に慣れるのに役に立ったと思う。一年が経ったころ、日本での生活は、日本で子供を産もうと思えるほど安定していた。
6月に、私たちの息子が帯広市で生まれた。KeenanこそJETプログラムの「国際化」を象徴している。40年の歴史もある病院で初めて外国人の親に生まれた子だし、20万あまりの人口を持つ十勝区で9年ぶりに生まれた外国人の子供でもある。青い目のブロンドな彼は、老いからも若きからも「かわいい」という反応を誘い出す。赤の他人が寄ってきて、触ってもいいかと聞いてくる。今まで子供は「外人」を見てギョッとしていたが、「外人」の赤ちゃんを連れている「外人」を見ると、腰が抜けてしまう。Nancyがカナダに帰らずに日本で子供を生んだことに驚いた人もいたようだし、一緒に日本で生活していることが信じられない人もいた。子供が日本で生まれたことは、人の外国人に対する認識を変えたと思うし、親となった私たちの日本社会に対する認識も変えた。子育てにおいて、普遍の真理がたくさんある。