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スポットライト アレックス・ミンター

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スポットライト アレックス・ミンター
04:Alex Minter

■ 職種:ALT(外国語指導助手)  ■ 都道府県:鳥取県  ■ 参加年度:2005年~2007年  ■ 出身国:英国

― チャンスと期待 ―

04:Alex Minter

JETプログラム参加者はほとんど皆そうだと思うが、私も何か全く新しいことを経験したいと思っており、海外で働き生活をすることに興味を持っていた。JETプログラムはそれを実現するのにまたとないチャンスであり、日本という国はいつもある種の魅力を持っているように感じていた。しかし当時は、このチャンスがどのような意味を持つのかを完全に理解できてはいなかった。私はJETプログラムに参加する前は、一度も日本に来たことはなかった。日本語もほぼゼロに等しかった。日本文化への理解といえば、かなり限られた(間違った)もので、着物、相撲、カラオケ、寿司、漫画という具合だった。どんな経験になるかをロマンチックに想像していたし、それはグエン・ステファニーのプロモーション・ビデオのようなものの範疇でしかなかった。現実的でない上に、どこか熱狂的なものを考えていた。

04:Alex Minter

そして自分の配置先が西日本の鳥取だと知ったときにかなり不安に思ったのは、イングランド出身の都会人にとっては当然だったと思う。何が起こるかを予想するには限られた知識しかない中、当たっていた予想といえば、田んぼと漁船だけだった。私が町に到着したとき、この二つだけはたしかにそこにあった。

しかし、ここまで圧倒的な自然の美は、私がまったく想像していなかったものだ。ほぼ完全に平坦なイングランド南部から来た私は、自分の部屋から見える山々のパノラマに魅了されてしまった。また、海からたったの3分のところに住むというのも、はじめての経験だった。JETプログラムで2年が経った今、「田舎」という言葉には少しも怯まなくなった。

― 地元のセレブ ―

また、地域のコミュニティーの中で働き、生活をすることによって、自分で考えていたよりも深く日本文化について知ることができた。私はこの町のインターナショナル・コミュニティーの50パーセントを占め、そのために地元では一級のセレブになったのだ。住みはじめて間もなく地域ケーブルテレビに出演し、「サンタさん」の格好をして子どもたちにプレゼントを配り、町に出来た「マンガファクトリー」のオープニングセレモニーではテープカットをした。もし私が1年半前にこんなことをすると聞かされていたなら、そんなことあるわけない、と疑惑のまなざしを向けただろう。外国人であることそのものが、ここでの生活では外国人である、ということが重要な要素なのだった。私は周りの人と自分の文化的背景を共有することを楽しみ、それと同時にコミュニティーの一員としての地位も得ることができた。それは私にとってとても重要なことだった。毎日玄関を出るとすぐに、新たな文化を発見することができるのだった。

― 仕事 ―

04:Alex Minter

中学校では、生徒たちは地元に住むイギリス人である私とイギリス音楽についての知識を共有することを誇りにしていた。ある日2年生の男子が帰宅途中の私に近づいてきて、「アレックス先生、 カイザー・チーフス(イギリス出身のロックバンド)の曲で何が一番好き?」と訊いた時は二度見してしまった。共通の関心事があるおかげで、生徒と私のつながりは確実に強まった。私に認めてもらおうとして急いで聞き取りして書き留めた歌詞を手渡されたことも数え切れないくらいあった(もちろん、英語の間違いは全て直すようにした!)。

また、担当教官と私の関係も時間とともに親密になった。初日から皆気さくではあったが、ただのALTという以上のものを感じるにはしばらく時間がかかった。熱心さと責任感を持ち続けることによって、職員の一員という扱いを受けることができた。私は自分の仕事の責任というのがあったし、それなりの考えを持って毎日創造的であるように努めた。これはJETに参加する前に経験した仕事ではわからなかったことだが、もし仕事に満足しているかと訊かれたとすれば、私の答えは「ご質問ありがとう。満足していますとも」というものになる。人々がしかめっつらで「国際化」とJETプログラムについて話しているのを耳にしたことがあるが、私にとっては「国際化こそ」日々実践していることなのだ。

― 明るい未来 ―

04:Alex Minter

この原稿を書いているうちに、今年度も明日で終わりである。先週は3年生の卒業式があった。私はもともと感情的な人間ではないが、卒業式では、予期していなかった涙を流している自分がいた。前から日本式のセレモニーは感動を呼ぶものだと教えられていた。私を信じていただきたいが・・それは本当である!ほぼ2年に渡って教えてきた生徒たちを見ていると、本当に誇りに思えた。ALTとして、彼らが成長し行動が大人っぽくなるのを見てきたのである。一人一人の個性が輝きを増し、その印象は私の中でずっと消えることはない。JETプログラムで遭遇した全てのことと共に、これは私にとって決定的な瞬間だった。私は明るい未来のある聡明な若者たちに影響を与えることができて、自分は何と恵まれているんだろうと思った。

最近になって次の夏には鳥取を離れることを同僚に話したが、その時彼女は泣いてしまった。その反応を期待していた訳ではないが、そのことは私の大栄中学校での日々をほろ苦く物語っていると思う。JETプログラムから何を得たかということを数字で計ることはできない。しかし間違いなく言えるのは、どの境遇もすべて異なっているということだ。とんでもなくユニークな経験ができる、ここに、JETプログラムの魅力があるのだ。

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