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スポットライト サイモン・ダリ

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スポットライト サイモン・ダリ
05:Simon Daly

■ 職種:ALT(外国語指導助手)  ■ 都道府県:北海道  ■ 参加年度:2009年~2014年  ■ 出身国:ニュージーランド

― 私の仕事 ―

05:Simon Daly

こんにちは、JETプログラムで生活している私と私の家族の簡潔な物語へようこそ。サイモン・デーリーです。JETプログラムの参加者になるまでとその後をまとめてみたので、楽しく読んで頂けたらと思う。外国語指導助手(ALT)として働き、3年目に向かっており、オホーツク海岸の遠い道東の端っこに暮らしている。私が愛妻のSarah(セラー)と4人の子どもと住んでいるのは、遠軽という小さな町である。双子のOliver(オリバー)とIsabella(イザベラ)は現在小学1年生。次男、次女のElijah(イラジャー)とAmelia(アメリア)は近所の幼稚園に通っている。色んな意味で刺激的な毎日を送っているので、どんなことでも、存分に楽しもうと思っている。

05:Simon Daly

正式には、私の勤め先は地元の教育委員会なのだ。委員会の公務員と直接な関係があるが、勤務時間は全て地元の学校で過ごす。かなり大きな中学校2校、小学校1校、そして様々な事情を抱えて全国から来ている生徒の集まる寄宿学校の1校で英語を教えている。この記事を読んでいらっしゃる方は多分もうお気づきであろうが、はっきりと言わせてもらう。私は仕事を間違いなく楽しんでいる。学校によって現状は全く異なるが、これらの学校で多くの時間を過ごしているので、仕事の同僚から生徒まで仲良しだ。

私にとって最も貴重なことは、生活と仕事があるコミュニティーの中で様々な人と接していることだ。私の住む町には、隅から隅まで人と人との繋がりがあるような気がする。大きくいうと、北海道との関係も出来ており、そして日本全国と繋がっている気もする。その繋がりは出来た友だち、生徒、無料の大人英会話の生徒ともあるし、地元の高校では教えていないものの、高校の3分の2の生徒は私の教え子達である。地元の店のスタッフはただの知らない店員さんやらウエイターやら配達マンではなく、むしろその人たちは生徒の保護者、私たちも入っているクラブのメンバー、地元の祭りで一緒にダンスしたり、同じことを経験したことのある方なのだ。遠軽以外の場所でも、JET参加者とJETプログラムに関連している日本の団体を通して、様々な人との交流をすることができた。

― 私の来た理由とは ―

私はおそらく理想的なJET参加者とは認められていないだろう。なぜかと言うと、他のJET参加者とは違い、高校卒業後に大学に入学し、そして大学卒業直前にプログラムに応募してきていないからだ。小学校の時、私のマブダチは日本人のハーフで、彼のお母さんに日本の家庭料理とルールを守ることを紹介してもらった。自分の家庭は1人っ子で、親は働きながら1人で私を育てていたので、私的には想像以上なものだった。面白いかもしれないが、最初に覚えた日本語は、「いただきます」と「が馳走さまでした」だった。その後、料理学校を卒業した時、私はよくアジア風の材料と料理美学に重点を置き、クラスで1位になった。卒業後、母国とイギリスにある受賞レストランやホテルで就職活動を始めた。

05:Simon Daly

そこらのどこかのホテルで、将来の奥さんに出逢った。その時、彼女は四国の高松市でJETプログラムの2年間を修了し、ニュージーランドに帰国してきたばかりだった。2人で、いつの日にか日本に戻ることができるとしたら、こうしたい、ああしたい、という話で盛り上がった。今から考えるともう、わけわからなくなるけれども、なぜか最初に韓国に住んでみた。何か新しいことに挑戦したかったのではないかと思う。楽しかったが、期待していた異文化体験とは違ったので、契約終了後、妻は北海道滝川市で英語を教える仕事をすることにした。そしてその1年間で、僕は北海道の魅力あふれる大自然やはっきりと移り変わる季節に惚れこんでしまったのだ。

翌年、さらにもう1年を韓国で過ごしてから、妻の出産のため、ニュージーランドへ帰国した。私は今まで住んできた国で多くの異文化に触れあうことが出来たが、あまりにも理解していないことが気になっていた。そして、その文化の相違を正しく理解できるように、社会人として大学に戻った。広い範囲で興味深いことが山ほどあったため、全部を細かく研究できるように政治学、宗教学、アジア学、3つの専攻で文学士号を取得した。卒業後、年のために大学院生として1年間研究を行った。それから3年が経ったころ、私たちには子どもが4人いるので、今後の方向性について検討していた時、その選択は明らかだった。妻の跡を継いで、JETプログラムに応募するということだった。家族のことを考え、北海道をリクエストしてみた。

― 北の叫び声 ―

日本列島は竜に似ていると言われるが、想像してみたら多分わかるのではないかと思う。北海道はそのくねくねしている竜の頭だ。日本で最大の都道府県で、最も北にある北海道は、ワイルドで地平線まで広がる大自然でもちろん有名なのだが、北海道と言えば雪だろう。北海道の冬はなんて不思議だ。多分もうご存知だろうが、さっぽろ雪まつりから粉雪で溢れている国際級のスキー・リゾートまで、世界の人々は北海道のことを知っているらしい。しかも、体験できることはそれだけではない。真冬になれば、私の近くにあるオホーツク海岸には流氷が漂流し、滝がチャキっと凍り、クロスカントリーやアイス・スケートやカーリングができる。そして私が熱中しているスノーシューもある。スノーシューを履いて、かつてみどりが生い茂っていた麓の上を歩くのが最高の気分だ。外でいい汗かいた後、あたたかい露天風呂で、チラチラと落ちてくる雪が自分の背中に当たって解けてゆくのを感じるほど、幸せなことはない。

05:Simon Daly

と言っても、冬は北海道の全てとは決して言えない。夏は暑いが、他の地域と比較すれば、ジワジワする感じは少ない。私の家族はキャンプが大好きで、屈斜路湖で1週間のキャンプ旅行から帰ってきたばかりだ。屈斜路湖はあの竜の目玉だと地元の人に言われ、そしてその真ん中にある中島は瞳孔だそうだ。ニュージーランドと全然変わりのない湖の水は冷たくて透明で、水泳や、カヌーや、魚釣りをするには最高だ。しかし、あそこはニュージーランドではなく、私の家からたった2時間で行けるところなのだ。ここはもちろん日本なのだが、期待よりもさらに素晴らしいところだ。ここは落ち着いていて、リラックスできるし、大都会の必死な生活とは掛け離れているのだ。木々は赤とオレンジに染まり、あっという間に夏から秋へ移り変わってゆく。今時期では、層雲峡などをただ見に行くだけで、絶対に後悔しないだろう。

北海道の独特なところと言えば、アイヌ文化や習慣で溢れている阿寒湖のようなところはかなり目立つだろう。北海道には、時間の流れには何の影響もないような気もする。予期していなかったので、かなり驚いたのではないかと思っていた。しかし、先住民のアイヌの文化に触れあう機会が多く、そして白滝ジオパークのような有史以前遺跡が自分の家の近くにあることは正直すごいと思う。大昔に石器時代の穴居人があそこで道具と武器を作るために、脆い黒曜石を集めているところを想像すると、そのタイムスケールには気が遠くなるような気がする。

― 予期せぬ良いところ ―

北海道のことを褒めちぎっていることから、私が北海道に派遣されて本当に良かったと思っていることは理解できるだろう。デーリー一家は想像以上にこの土地に慣れてきた。私の日本語は口語が多く、正式ではないと言っても良いかもしれないが、私の子どもはたった2年間でもはや流暢な日本語を喋れるようになった。日本に引っ越せば、異文化と外国語との触れ合いはきっと掛け替えのない体験になると思っていたが、その上に様々な機会が私にひょっこり転がり込んできたことに驚いた。私はラッキーだと言えるかもしれないが、もうちょっと具体的に言ってみよう。

05:Simon Daly

私は料理への情熱を分かち合うため、地元のAJETが出版している雑誌の連載記事を書き始めた。たまに図工のアイディアや自分で作った教材を記事にしたこともある。ある日、在日ニュージーランド人の芸術家が私のデザインした絵が載っている記事をたまたま見かけた。彼はさっぽろ雪まつりの雪像国際コンクールのニュージーランドチームのキャプテンだった。ニュージーランドチームに入ってみないかと誘ってくれた。チームの仲間に入れてもらったことは、とても喜ばしいことだった。さらに、私たちは様々な国際級のプロチームにぶつかり合い、2位を獲得した。今年のコンクールでは私がチームキャプテンを務め、雪像のデザインを自作することができ、嬉しい限りであった。

私の趣味と言えばデザインで、この2年間東京オリエンテーションのTシャツデザインコンテストで2回連続優勝した。それにより、私は財団法人自治体国際化協会(CLAIR)の事務所の人に知られるようになった。そして、文部科学省(MEXT)が2010年東京オリエンテーションのグループAの前で発表できる人を探していた時、人名の海から私の名前が上がってきた。ALTとして、どうやって英語の授業内外で社会貢献することが出来るのかについて発表した。800名の新人ALTの前での発表は来日以降、もっとも緊張を味わったが、緊張感も発表も満喫することができた。

今年の3月、大震災により東北地方が破壊的な被害を受けた時点で、どんなことでもするから出来る限りに役に立ちたいと思っていた。被災した人たちのために何かしたいと考えた時に、募金を集めることを思いついた。地元の親切で温かいAJETを通し、私のデザインしたTシャツを販売し、その収益を寄付することにした。約27万円が集まり、直接日本のチャリティーに寄付された。

― 我々の未来へ ―

今年はJETプログラムで3年目に向かっており、未来に対して極めてポジティブである。家族としては、現状ほどより良いところはないと思う。どれだけ好きかと言うと、私の妻セラーはこの機会を生かし、2回目のJETプログラムに乗りこんだ。まさか、妻が私と同じ教育委員会に配置されたことは望ましい限りだった。2回目のALTで6週目なのだが、すべてが上手くいっているようである。私たちのプランとは、お互いに自分の経験が役に立てる時節に力を入れ、そして出来る限り良い文化大使になることだ。日本にはまったくないイベントを企画し、この町を強く印象付けるのは私の唯一具体的な目標だ。そのうち、道東山野菜まつりのことを耳にしたとしたら、それはきっと私の仕業だ。

デーリー一家は広く方々を旅行し、様々な国に住んできた。本音を言えば、私たちにとって今のところより安全で面白いところは存在しないと心の底から思う。日本の公立校制度で草の根国際交流ができ、本当に恵まれていると感じる。JETプログラムとは単なる言語交流より、いいところがたくさんあると信じている。プログラムが終了したとしても、私たちの想いはここに残り、私たちの人生はより良い方向へ変わってゆくに違いない。

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