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2019年JET Streams冬号

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JET Streams

2019年JET Streams冬号

ニュース

JETAA(元JET参加者の会)

JETの向こうに
2018 ふるさとビジョンプロジェクトが終了!

JETプログラム事業部、CLAIR

10月から11月にかけて、2年目のJETふるさとビジョンプロジェクトが実施されました。これはJETプログラムによる地域への貢献をさらに拡大するために、元JET参加者コミュニティにアイデアや支援を求めるイニシアティブです。2018年3月6日から4月20日までに、CLAIRは、日本で過ごした時に故郷と呼んだ地域に、新しい活力を与えたいと思う世界中の元JET参加者から、約50の企画の提案を受けました。8人の元JET参加者の企画が選定され、CLAIRと元任用団体の支援の元、彼らのビジョンは実現しました。プロジェクトは2018年10月25日から11月10日にかけて実施されました。

2018年JETふるさとビジョンプロジェクトは2年にわたる企画の2年目にあたります。元任用団体が西日本にある元JET参加者は2017年に参加資格があり、東日本にある元JET参加者は今年参加資格がありました。この記事では2018年に実施されたプロジェクトを紹介します。

  1. インタビューを行うオコンネル氏

    山形県―エイドリアン・オコンネルは、JETプログラムのALTとして勤務した後、引き続き日本で、観光とマーケティングの分野で2年間勤務し、そして祖国のアイルランドへ帰りました。アイルランドでは、テレビ・映画制作のさらなる教育を受け、2本の短編映画を含む感動的な映像作品集を作成しました。彼自身の言葉で、“日本の若い世代に田舎で暮らすことの魅力を伝えると同時に、地域の美しさ、その人々、風景、温泉、食、酒に国際的な注目を集めるため”に彼が編集、プロデュースするドキュメンタリー制作に向け、エイドリアンは10月の後半、4日間にわたり、山形県酒田市や周辺市町村で地元農家へのインタビューや撮影を行いました。このプロジェクトの前にエイドリアンは、「山形の田舎とそこに住む人々は私の心の大部分を占めている。酒田の伝統や哲学に加え、稲作農家の生活のある一日について短編映画を制作することで、魅力を記録するために酒田に戻りたい。」と言いました。プロジェクト後、エイドリアンは日本での滞在中の成果に歓喜し、将来CLAIRがきっと共有することになる、彼のプロジェクトの次なるステージへの大きな希望を抱いています。

  2. スペザカテナ氏と英語図書館

    福島県川俣町―ミシェル・スペザカテナは米国議会図書館で勤務しており、JET終了後からJETAAコミュニティで活発に活動しています。「元福島のJET参加者、そして米国議会図書館の現職員として、教育と読書は私にとって非常に重要なトピックです。」と述べ、彼女は人生の多くを職学率向上の支援に捧げてきました。彼女の第二の故郷である福島県川俣町は、一部の地域にて避難指示が出るなど、東日本大震災の甚大な被害を受けました。ミシェルは募った寄付金を被災地域へ分配するためJETAAと協働するなど、災害後すぐに活動を開始しました。また、彼女は太鼓奏者の生徒の一団に人生を変える経験をしてもらうべく、ワシントンD.C.への旅行をアレンジすることで、川俣町を直接支援しました。ふるさとビジョンプロジェクトを通して、彼女は川俣町の学校に100冊以上の本を寄付し、英語図書館を設立することで、支援を継続することができました。彼女は今後も川俣町へ本が届くようにアレンジし、日本の故郷との繋がりや、故郷への支援が続くことを確かにしていきます。

  3. 結城紬の製造

    栃木県―ファラー・カリムは、エンジニアの経歴を持つセキュリティソフトウェア開発会社の役員で、デザイン、特にファッションとアパレルに対する熱意を持っており、自信を“熱心なドレスメーカー”と表現しています。彼女は偶然にも、その独特の生産技術と豪華な品質で日本中に知られている、精巧で珍しい織物を生産する小さな産業の中心である栃木県小山市のALTでした。結城紬は日本の無形文化遺産に指定されており、またUNESCOの無形文化遺産の代表一覧表にも登録されています。プロジェクト開始前、ファラーは「私は美しい衣類や製品を作るため、いつも高品質の織物を探している。英国内はおろか、ヨーロッパですら、結城紬を見つけることは殆どない。そのため、小山市の結城紬を私の大陸で認知させ、地元の製造者を支援するために“ふるさとビジョンプロジェクト”に参加できて嬉しく思います。」と言いました。地域の至る所を見て回り、小山市の市長と副市長に会い、その伝統工芸品産業の保存の任務を負う地元の公務員から学び、地元の職人と製造技術を学び、地元の卸販売業者や生産組合と相談した後、ファラーは来年英国で開催される大規模なテキスタイルフェアで、今回の旅で手にしたサンプルを披露する準備ができました。そのフェアの後、彼女は世界中へ結城紬の上品さを広げるため、小山地域の新しいビジネスパートナーと仕事をする予定です。


  4. 太鼓練習中のブラウンワルダー氏

    新潟県妙高市―レア・ブラウンワルダーは文化・社会プロジェクトコーディネーター、そしてスイスにある大学の研究者で、JETプログラムのALTとして新潟県妙高市に到着してすぐ、和太鼓に夢中になりました。スイスに戻った後、彼女はどうにか和太鼓活動を継続したいと考え、彼女の故郷の近くで活動するあるグループを知りました。彼女が新潟にいる間共に練習した、妙高高原須弥山(しゅみせん)太鼓グループは独特の、愉快なスタイルを持っていましたが、若いメンバーが殆どいないため伝統を守るのが難しい状況です。そのため、レアのプロジェクトは彼女が妙高に戻り、スイスに持ち帰り、彼女の地元のグループに教えるために選んだ曲を練習、記録、録音することでした。次第にそのスイスのグループはレアが持ち帰った曲を演奏し、妙高市をPRします。また彼女は、合同パフォーマンスやスイスのグループへの指導のために、日本のグループのメンバーがいつかスイスを訪問できることを望んでいます。

  5. 福井県立恐竜博物館訪問

    福井県―トレーシー・ボールズは、米国の学区長で、福井県の元ALTとして勤務し、幼少期から“恐竜や化石の情報に対する飽くなき興味”を持っています。運よく、彼女のJETプログラムの任用地、つまり故郷は日本の古生物学の中心で、彼女の母校のローワン大学は近年、化石公園を彼女の出身州にオープンしました。トレーシーのプロジェクトは、福井で盛んな恐竜・化石文化を、彼女の地元の活発な古生物学コミュニティと繋げることを目標にしています。また、彼女は、科学と恐竜をPRする地元の努力について、より良いアイデアを得るために、大学研究者と博物館職員を訪れることができました。新たに発見した繋がりや集めた情報を使い、日本の第二の故郷やその科学的財産について彼女の学区の生徒に教育するだけでなく、その博物館と2つの地域の人々の持続的な関係を作ることを望んでいます。

  6. 山梨県笛吹市―リン・ニランダは、米国出身、スウェーデン在住の教育者及び公務員で、熱心な写真家でもあり、国際的な観光プロジェクトを率いています。彼女はスウェーデンと日本の共通の美に気づき、温泉の魅力と相まって日本文化にある興味深さは、より多くの人々を呼び込むと断言しています。笛吹市やその地域の豊かな温泉街を、彼女のコミュニティでの講義や写真展を通してPRすることで、リンは同郷の人々が山梨を訪れるようにしたいと考えています。プロジェクトの成果により、地元の人々が彼女の故郷でバケーションを取る気になるよう、PR素材を市内の全世帯へ配布し、彼女の講義の開催を支援することに地方政府は既に同意しています。

  7. プロサッカー選手の協力も得た

    静岡県―ジャスティン・クックはオーストラリア政府職員、静岡県の元ALTで、サッカーに情熱を持っており、日本から戻った後地元のスポーツコミュニティで活動を続けています。静岡の彼の故郷は偶然にもユースサッカーの中心地であり、彼が配置された学校には、プロや日本代表チームへ選手を送り出した、有名で成績の良いチームがあります。さらに、地元のプロチームの1つには、ジャスティンのオーストラリアの実家の近隣出身の選手もいます。プロジェクトは、チームと彼の地元の熱狂的ファン、そして日本の故郷の関係を構築することを目的にしています。このプロジェクトは学校とプロチームを訪問することに焦点を当てており、2つのコミュニティ間の協力的な交流を促進するため、彼は新しい繋がりを有効活用していきます。

  8. 愛知県にてカーリングを普及するマクチャールズ氏

    愛知県豊根村―ジェフリー・マクチャールズは、スポーツマネジメント博士、カナダ出身米国在住の生涯のカーリング選手でもあります。彼は愛知県豊根村での運動会のおかげで彼のJETプログラムの経験がどれだけ充実したか思い出し、スポーツ教育や交流を通して豊根村や愛知県の若者の生活を豊かにしたいと考えています。プロジェクトの間、ジェフリーとCLAIRは地元のグループと協力し、名古屋市周辺で、アイスカーリングとフロアカーリングを開催し、また、豊根村と彼が昔配置された学校を訪問することができました。韓国で開催された冬季オリンピックでカーリングが偉大な成功を収めた影響で、カーリングはここ日本でも人気を集めています。ジェフリーはその勢いに乗り、カナダ、米国、日本のカーリング組織と協働し、彼の愛するカーリングがより多くの日本の生徒に触れてもらえるようにしたいと考えています。

これらのプロジェクトは厳しいスケジュールで実施されましたが、8名の参加者は、割り当てられた時間を最大限活用するため、それぞれ根気強く働きました。プロジェクトの最終日は東京での発表会も行われ、他の参加者や関係組織のメンバーと交流することもできました。各参加者は、プロジェクト中のそれぞれの活動内容や将来における協力への希望、ふるさとビジョンプロジェクトによって得られた機会への感謝について熱心に話しました。

以下のリンクを用いてソーシャルメディアをフォローし、JET Streamsと購読し、地元のJETAA支部と繋がって、ふるさとビジョンプロジェクトとの今後の機会について情報をお見逃しなく。また、CLAIRのJETプログラムに関する全ての企画については、JETプログラムのHPもご覧ください。

Homepage: jetprogramme.org/ja/furusatovisionproject/
Facebook: www.facebook.com/furusatovisionproject
Instagram: www.instagram.com/fvp.2018/
Twitter: twitter.com/JET_Programme

2018年度JETAA オセアニア地域会議  パース市、 オーストラリア

Ashlie O’Neill、JETAA-I会長、元兵庫県ALT、2013年~2016年
写真提供:Julius Pang、JETAAWA支部会員、2017年度JETふるさとビジョンプロジェクト参加者(北九州市)

昨年オークランド市にて行われたJETAAオセアニア地域会議において次の開催地について協議した結果、西オーストラリア州の美しい都市であるパース市を開催地とすることに決定しました。JETAA西オーストラリア支部(JETAAWA)の皆様に会議を主催することを御快諾いただき、12か月後、オセアニア地域中の各JETAA支部の代表が、長距離を移動しパース市に到着しました。

会議は美しい住宅地、ペパーミント・グローブの郊外にある平山達夫総領事の公邸で行われ、JETAA西オーストラリア支部のサイモン・ヴァンヤイ氏がリーダーを務める和太鼓グループ「太鼓音」の演奏により、華々しく開会しました。パースにおける2018年度JETAAオセアニア地域会議は、この開会の瞬間から最後まで、全て順調に進行しました。

土曜日、全ての参加者は、新鮮な気持ちとやる気を胸に秘め、マードック大学に集まりました。今年度のテーマ「支援活動とコミュニケーション」は、支部の規模に関わりなく、全てのJETAA支部にとって共通の議題でした。

初めに、JETAAウェリントン支部(JETAA Wellington)から、Trelloなどのタスク管理ツール及びSNSを活用し、会員が関わりながらイベントを計画する事例が紹介されました。次に、JETAAニューサウスウェールズ支部(JETAANSW)は、広報活動とSNSの活用について、そしてJETAAサウスアイランド支部(JETAASI)は、岡山県倉敷市との姉妹都市提携により、日本人英語教員が初めて交換職員としてクライストチャーチ市を訪問するという大きな成果について説明しました。JETAAキャンベラ支部(JETAA Canberra)は、日豪協会、日本人会及び文部科学省奨学金留学生などと協力するメリットについて紹介しました。JETAAオークランド支部(JETAA Auckland)の代表は、彼らと領事館及び大使館との間の強力な関係が、どのように元JET参加者と支部会員の役に立っているのかということについて説明しました。JETAAビクトリア/タスマニア/南オーストラリア支部(JETAA VIC/TAS/SA)は、大盛況だったイベント「Big Bento Lunch」と将来の募金活動における寄付者の募金に対する負担感(ドナー・ファティーグ)への対策について発表しました。JETAAクイーンズランド支部(JETAA Queensland)からは今度のキャリアセミナーの紹介があり、最後にオセアニア地域の国代表であるエデン・ロー氏(オーストラリア)とローザ・フィンクルヴァーン氏(ニュージーランド)が、国代表としての目覚ましい業績について発表しました。

日曜日には、私からJETAA International 2.0(注:2016年度に発足した新生JETAA-I)についての紹介から会議を開始させていただいたことに感謝しております。私たちの直近の取組について発表し、さらには新規プロジェクトである「県JET会」についても紹介しました。県JET会は、JETプログラムの基本的な方針である「配属先の都道府県における地域レベルでの国際化及び母国との友好関係の推進」を継続することを目的としています。その推進のために、JETAA-Iは、小規模のJETAA支部を世界中の個人又はJETAA支部と、共通の目的、計画、課題等に基づき関係を取り結び支援します。詳しくは ウェブサイト(www.jetaainternational.org/)とSNSを御覧ください。または、お気軽に私にメール(chair@jetaainternational.org)をお送りください。

礒部氏(クレア東京本部参与)

礒部氏(クレア東京本部参与)

次に、クレア東京本部の磯部参与から、JETプログラムの最新情報及び参加者への支援事業についての紹介があり、さらに新たなJETプログラム広報動画の上映がありました。

2018年度のゲスト・スピーカーであるケント・アンダーソン氏による講演を拝聴し、私たち元JET参加者に求められていることについて考えさせられました。彼は、JET参加者がJETAA支部に求めていることや必要としていることは、世代により異なると述べました。彼の講演は私たちに、JETAAが、各世代のJET参加者のニーズにどのように応えていくべきかという大きな課題を残しました。

素晴らしい会議を開催いただいたJETAAWA支部の皆様に、この場を借りてお礼申し上げます。週末の数日間に渡り、これほど充実した会議を開催するに当たっては多大なる御苦労があったことと思います。特に、JETAAオセアニア代表及び会議の主催者代表として、会議を成功させるために1年間 尽力されたナターシャ・シャーリア氏に心から感謝申し上げます。

来年シドニー市でJETAANSW支部により開催される会議が早くも待ち遠しく感じております。

USJETAAの新章開幕

バヒア・サーモンズレイン、群馬県ALTアドバイザーALT、2005年~2007年

2018年の7月、豪雨と洪水が西日本を襲い、200万人が住処を奪われ、200人以上が亡くなりました。2011年に東北地方を津波が襲った時のように、世界中の元JET参加者はその悲劇に目を向け、支援の方法を探りました。米国にいる元JET参加者を代表し、寄付を募るため、USJETAAは素早く動き出しました。より多くの資金を被災地に届けるため、JET参加者が最小限のコストで米国から日本へ寄付を送ることができる確実な方法を提供することが我々の目標でした。そしてNPO法人ジャパン・プラットフォームへ5,000ドルを寄付するという、非常に困難に思われるゴールを設定しました。寄付金が集まるのを見ていて、JET参加者やその友人からの溢れるほどの支援に私たちは驚かされました。そのキャンペーンが終了するときには7,508ドルもの寄付を集めることができました。

この寄付キャンペーンは、2017年に開催されたJETプログラム30周年記念同窓会に始まる、USJETAAの新章へと続いていきました。私たちはもはや駆け出しの組織ではなく、災害に直面した日本を支援するためすぐにアクションを起こさなければいけない立場にいます。西日本を支援する私たちの努力により、私たちのネットワークの強さと、元JET参加者の第二の故郷に対する、目に見えるほどの強い思いを見ることができました。このことは、日本人の復興のためだけではなく、日米間の重要な関係を私たちがどのように支援し続けられるか、という点においても私たちを前向きにさせました。

USJETAAは、全米規模の非営利組織として、ある熱心な元JET参加者のグループにより2015年に設立されました。それは、どのようにJETAAのネットワークを強化し、日米関係の次世代のリーダーを支援するか調査を行った日米交流財団によるイニシアチブの結果です。ペイジ・コッティンハムストリーター(三重県の元JET参加者、1988-89年)に率いられ、日米交流財団は米国のJETAAコミュニティからのフィードバックを調査した結果、米国の19のJETAA支部を運営する献身的なボランティアを支援し、また、どの支部にも所属していない元JET参加者へ手を差し伸べる、上部組織が必要であると最終的に判断しました。これまでJETAA USAの3人の全米代表がJETAA支部を指導していましたが、それは無給の仕事でした。USJETAAのコンセプト化に関わったJETAA USAのワーキンググループは、職員と財源を持つ上位組織はJETAAボランティアの力を押し上げ、JET参加者と日米関係にとって有益な事業へ資金提供することで彼らを支援できると考えました。

ローレル・ルカゼウスキ常任理事(鹿児島県の元JET参加者、1990-92年)のリーダーシップの元、USJETAAは根を下ろし、そして、JETAA支部を支援し、現JET参加者へ手を差し伸べる事業を始めました。JETAA支部のリーダーシップをサポートするため、USJETAAがJETAA支部を訪れ、研修を行うリーダーシッププログラムを設立しました。また、支部のリーダーに関係のあるトピックを扱うオンラインセミナーを開発し、さらに、米国笹川平和財団とパートナーシップを結び、JETAA支部のコミュニティプロジェクトに補助金を支給しました。このほか、東京にある米国大使館と共同でアメリカ人の現JET参加者へ少額の奨学金を支給することにより、彼らの国際化と英語教授努力を支援しようと努めました。

2017年8月、USJETAAはワシントンD.C.で、JETプログラム30周年記念同窓会を開催しました。JETプログラムの全ての参加年から、46都道府県で英語を教えた283名の元JET参加者が集まった素晴らしいイベントでした。JETプログラムの30周年を祝福し、これまでに開催された元JET参加者の集会で最大のものになりました。幅広い元JET参加者のキャリアと業績を知ると同時に、JETプログラム参加時を回想し、元JET参加者同士を再び繋ぐことができるよう、同窓会は社会的かつ専門的なプログラムにしました。出席者は同窓会を大いに楽しみ、USJETAAの役員は、元JET参加者のためのさらなるイベントの開催の可能性を探るため、委員会を設立しました。

私はワシントンD.C.に引っ越した後にJETプログラム30周年記念同窓会に出席しましたが、そのイベントでの経験により、熱心にUSJETAAを支援したくなりました。そして幸運にも、私は2018年1月に専務理事としてUSJETAAに加わることができました。私の仕事はより多くの元JET参加者へ手を差し伸べ、資金を集め、事業をPRすることでした。まず、元JET参加者が互いに繋がり、また、メンターを探しやすくなるように、名簿の改訂を行いました。また、ドナー・マネジメント・システムを導入することで資金を募りやすくし、さらに、私たちのウェブサイトやソーシャルメディアがより認知されるように努めました。

少額奨学金を受領者のEmmanual Tarr氏

しかし、私が最も誇りに感じるのは、我々の事業の拡大がより多くのJET参加者及び元JET参加者の役に立っているということです。今年の11月、元JET参加者に、米国のインターネット上で日本の事柄に関する記事を寄稿してもらうために、ワシントンにあるイースト・ウエスト・センターと共同でコントリビューター・プログラムを始めました。寄稿者は、日米の人的交流の重要性を強調するようなウェブコンテンツを強化すると同時に、報酬が支払われ、その貢献の功績をしっかりと認められます。また、我々のウェブセミナーを年3回から年11回に拡大しました。その半分は、元JET参加者と現JET参加者へ、専門性を開発する講座と、JETプログラム終了後のキャリアガイドを提供するものです。さらに今年は、アメリカ人のJETに対する少額奨学金プログラムへ過去最多の申請があり、我々は提案されたプロジェクトの質の高さと興味深さに感心しました。米国のJETAA支部を支援すべく、より多くの資金をコミュニティプロジェクトへ提供するため、米国笹川平和財団とのパートナーシップを強化し、JETAA全米総会のスポンサーの立場となりました。

USJETAAの昨年は予想を超えて実りのあるものになりました。あるJETAA支部の前代表として、全米規模で元JET参加者のコミュニティに携わられたこと、そして、我々の仕事がもたらしたインパクトを、我々の慈善努力と我々が支援する事業の功績を通して見たことは心躍るものでした。我々の成長の新たな幕開けに皆さんをご招待します。

プロフィール
バヒア・サーモンズレインはUSJETAAの専務理事。米国メリーランド州出身で現在ヴァージニア州に居住。JETプログラムのALTとして勤めた後、群馬県教育委員会義務教育課にてALTアドバイザーとして勤務。米国へ帰国後、フロリダ国際大学にて、国際異文化教育学の修士号を取得し、5年半に渡ってフロリダJETAAの会長として務めた。現在は、フロリダ国際大学の学生の世界的展望についての学術論文に取り組みながら、USJETAAにてフルタイムで勤務している。USJETAAに関する詳しい情報はホームページ及びFacebookページで確認することができる。連絡先メールアドレスはdirector@usjetaa.org。

漂流ごみ:地方が関心を持つべき地球規模の問題(第二のふるさとから学んだこと)

サラ・オーフレット、徳島県ALT、2007年~2010年

徳島県鳴門市は、四国地方の東海岸にある渦潮や真鯛、海藻が有名で、私は3年間ALTとして勤務しました。コミュニティが非常に温かく、鳴門市は私の第二のふるさとになりました。JETプログラムの最後の一年間、滞在中に支援してくれた人へどうやって感謝を表せるかずっと考えていました。そして、恩返ししているうちにコミュニティで行ったボランティア活動の価値を知りました。

ハイキングが好きで、ハイキングをする中で地域の素晴らしい島々を知ることができました。2010年1月には、島田島の海岸沿いの「四国遍路」を辿り、瀬戸内海を背景に、小さな棚田の美しい景色を眺めました。歩き続けると小池浜に到着し、そこは写真でも言葉でも正確に伝わらない場所でした。ペットボトルや空き缶、大量の漂着プラスチックが小石の浜の上に山積みになっていました。大部分のごみは強い波と風により海から運ばれていました。鳴門市は山道の清掃や不法投棄に対する取組を実施していましたが、漂着ごみはどう対応すればよいでしょう。

島田島の小池浜

3か月の間、国内外のたくさんの方と会って話したり、写真を見せたりしました。小池浜の位置関係と大量のごみという2つの要素を考えると、誰も効果的な解決方法を提示できませんでした。

そのため、私は清掃活動に挑戦してみました。初めてのことだったので、少し楽観的過ぎたのかもしれません。集めたごみの処理方法が分からず、2日間小さな自分の車にそのごみを置きっぱなしにすることになりましたが、周りの方により身近な問題であることに気づいてもらいました。でもようやく具体的に行動に移し、より正確に問題を説明できるようになったので、鳴門高校のサポートを得てから1週間以内に「鳴門ビーチ清掃プロジェクト」が市の職員や廃棄物処理施設の協力で設立されました。

鳴門高校勤務の最後の4か月は、毎月、ALT担当の先生や部活動の生徒たちと一緒に島田島沿岸の清掃活動を実施しました。新聞やローカルテレビ局の情報発信のおかげで100人以上のボランティアが参加してくれました。数か月後には、ビーチに溜まったごみを清掃するために、県が機械を使って清掃を行いました。この取組は、地元の人やJET参加者、学校、市・県職員が一緒に取り組む地域コミュニティ事業の好事例となり、環境保護に対して大きな影響を与えました。

鳴門を離れてからはアウトドアガイドになり、北極からわずか1,000キロに位置するスヴァールバル諸島へ観光探検ガイドとして活動する機会がありました。スヴァールバル清掃事業はすでに確立されており、遠隔地に行く観光客が漂着ごみを拾って、それを処理する自治体に持ち帰ることになっています。

私が数年間やっている今の仕事は北極圏乗船観光に関することで、環境に優しく安全な北極観光を支援する国際団体である「北極探検クルーズ運営者協会」(AECO)に勤務しています。1年前、AECOは国連環境計画(UNEP)と覚書を締結し、UNが主導する「Clean Seas」という漂流プラスチックごみに対処する事業に協力しています。

私たちは北極圏クルーズ船での使い捨てプラスチックの抜本的な削減に向けて取り組んでいます。水・石けん容器の設置やボトルやカップなどの使い捨て品の削減、商品の包装方法の変更によりプラスチック消費量を減らしています。また、漂流ごみの位置と種類などのデータを収集し報告することで、スヴァ―ルバル清掃事業に寄与しています。2018年には、AECOの会員だけで、130件以上の清掃活動が報告されており、6,000㎏以上のごみが収集されています。報告された情報は、科学者や行政により活用されています。

最後に、私たちは乗船客や乗務員、一般向けに、使い捨てプラスチックの削減や海洋汚染防止に関する啓発に力を入れています。そのために、ガイドラインやオンライン記事などの教育資料を作成しています。最終的には、世界のどこでも同じように取り組めるように、好事例を共有することを目標としています。

まだ、漂流ごみとの戦いは始まったばかりです。遠隔地でのごみの問題に向き合うと時には絶望することもありますが、献身的で情熱のある素敵な人との出会いもあります。そして、この問題に関心のない人に興味をもってもらうこともできます。

去年の6月、スヴァ―ルバルに来ていた日本人の観光客が、沖縄をはじめ世界中での潜水ごみ収集の取組について話してくれました。清掃活動は一人でできない大きな問題ですが、生徒や近所、知らない人であっても一緒に取り組むことで、有意義なコミュニティの絆を作ることができます。ボランティアの方や自治体職員と出会うこともできます。清掃活動は、教育的にも社会的にも価値がある重要な取組です。漂流ごみを無くし、海洋汚染を終わらせるためには、地域活動が不可欠です。小さな町にいるJET参加者でもこのような活動に参加したり、企画したりすることで活躍する機会があります。そうすれば、今まで歓迎してくれたり、支援してくれた地域の方への大きな恩返しになるでしょう。

現在は島々の美しさに恵まれたノルウェーのトロムソという町に住んでいます。信じられないほどきれいなハイキングコースで有名ですが、ビーチ清掃活動も数多く行われています。ノルウェー語では、コミュニティで行われるボランティア活動を示す「dugnad」という単語もあります。鳴門市で学んだことが私の人生を変え、そのおかげで今いる新しいコミュニティへ良い影響を与えることができています。

プロフィール
フランス及びイギリス出身で、現在はノルウェー北部に在住。2007年から2010年まで、徳島県鳴門市の高校でALTとして勤務。2010年には、学校や地域コミュニティの協力を得て、鳴門市島田島沿岸部の月1回清掃活動を実施。
数年間の北極圏での勤務を経て、「北極探検クルーズ運営者協会」(AECO)に就職し、海洋清掃事業のリーダーとして勤務。北極圏クルーズ船の使い捨てプラスチックの削減、清掃活動の参加者の増加、クルーズ船の乗務員・乗客への情報伝達と他の業界への好事例の共有が当事業の目的である。
AECOのホームページ:www.aeco.no/clean-seas/
Facebook:CleanUpSvalbardForum
Twitter:AuffretSarah

 
文部省英語教育プログラム(MEF)元参加者の記憶:娘のJETプログラム参加により、母の日本での生活が蘇る

エリザベス・シマー、文部省英語教育プログラム(MEF)、茨城県下妻市ALT、1985年

(注)JETプログラムの前身。政府の文部科学省(当時の文部省)が、当時の「文部省英語教育プログラム(MEF)」と「英国英語教師養成プログラム(BETS)」を合わせた形の教育システムを設け、1987年に2つのプログラムがJETプログラムとしてまとめられた。

エリザベス・シマー 元校長先生と一緒に
(1985年茨城にて)

1985年のことを覚えていますか?エチオピアの子供たちの救済を目的としたLive Aidのコンサートが世界規模で開催され「We Are the World」が歌われた年、漫画「カルビンとホッブス」の新聞連載が始まった年、任天堂が初めてアメリカにやってきた年です。

1985年、私は文部省の英語教育プログラム(MEF)の一員となり、茨城県の下妻市に赴任しました。納豆と豚で有名な茨城県に配属されるだろうとずっと思っていました。なぜなら、私はアイオワ州の中西部の農場出身だからです。

それから33年、私の娘のリアンが今、九州の宮崎県延岡市でJETとして働いています。娘にJETを勧めたことはなかったのですが、大学卒業後、自ら応募し、私はびっくりしました。

私は、子供もJET参加者である唯一の元MEF・JET参加者というわけではないのですが、30年以上たった今、私の経験と娘の経験の共通点と相違点を、私の個人的な経験から皆さんに共有したいと思い、こうしてこの記事を書いています。

娘は、私、夫、息子とともにミネソタ州のセントポールで育ちました。セントポールは1955年から長崎市と姉妹都市だったので、娘には長崎の知り合いも何人かできました。私は、セントポール・長崎姉妹都市委員会の一員となり、会長に立候補し、娘の人生の間中、日本からのお客様をもてなしました。日本にも何回か戻り、子供たちと本州や九州を旅しました。ある時点から娘は日本語に興味を持ち、Grinnell Collegeで日本語を勉強し、2018年5月に卒業しました。その後JETプログラムに応募し、今年の7月下旬から働き始めました。

娘のリアンが私のMEF参加当時の生活について聞きたくなかったことといえば、携帯、ソーシャルメディア、コンピューターなしでどのように生き抜いたか、ということです。ソーシャルメディアの影響により、1980年代の私の茨城での生活と仕事は、現在の娘の状況とかなり異なっています。最大の違いは、WhatsAppアプリやEメールを通し、毎日のようにコミュニケーションが取れるようになったことです。1985~1986年当時は、両親とはほとんど電話で話さず、届くのに1週間かかりましたが、手紙を書いていました。娘は、日本での配置先が決まったとたん、町のことやアパートのことなど、多くの情報を得ることができました。延岡市の前任のJETの方がすぐにメッセージを送ってくれたのです。Eメール、FAX、携帯電話、インターネットは1985年当時はまだありませんでした。

別の大きな違いは、娘は日本語の読み書きができるということです。私は1983年~1984年、大学3年生の時、東京都三鷹市にある国際基督教大学(ICU)に留学していました。基本的な日本語は学びましたが、娘ほど準備はできていませんでした。良い面としては、MEFに参加する前の1年間、東京に住んだことで、長期休暇のときに遊びに行ける友達のネットワークができました。

娘のリアンは、現在自分の車で学校に通勤しています。私の場合は、いつも日本人の先生に車で拾ってもらっていました。当時、住んでいた茨城でも電車は走っていましたが、私の最寄りの電車は、古く遅いものでした。当時、MEFプログラムのアメリカ人参加者は300人でした。現在、JETプログラムの参加者は44ヶ国5,000人を超えています。

仕事の内容も違います。私は、生徒にとって「一度きり」の中学教師で、たくさんの学校を訪問し、同じ学校にはほとんど戻りませんでした。家族やアメリカについて、黒板に絵を描いたり、生徒からの質問に答えたりしながら紹介しました。日本人の英語の先生と一緒に教えたり、授業の計画を立てたりすることはありませんでした。校長先生と一緒によく天ぷらや寿司ランチを食べたことはありましたが・・・。(9キロ近く太ってしまいました!)娘の場合は、より共同作業です。彼女は、7校を担当しているのですが、2~3週間おきに学校を訪問することができます。同じ学校に繰り返し訪問するので、自己紹介の授業で終わりではなく、普通の授業の手伝いもできるわけです。通常、彼女は授業で英語の先生の手伝いをし、その後、学習に役立つゲームをし、子供たちのエネルギーを発散させます。最大の違いは、担当する学校数が少ないことです。何百人の生徒を受け持っており、個人個人を知ることはできませんが、それでも学校や先生と親しくできています。

今年の娘の経験で一番うれしかったことは、彼女が、私と同じように日本の文化を楽しむ機会を生かしているということです。私たちは、日本社会に対し、心からの感謝と理解の気持ちを持っています。娘は太鼓の初級クラスに入っています。私は空手を習いました。娘は市内で登山をしています。私は茨城や栃木の美しい場所で多くの時間を過ごしました。娘は、私と同様、同僚と友達になり、温泉に行ったり、地元のレストランで食事をしたり、地域の祭りに参加したりしています。1985-86年の7人のMEF参加者は、親しい関係となり、県の会議などで集まる機会があれば、大都市の水戸で思いっきり楽しんだりしていました。皆とは疎遠になってしまいましが、日本での経験や日本語を生かせるキャリアを追求しているのかなと思います。

私は、最後はセントポールで小学校教師に落ち着きましたが、短期間ではあるもののミネソタ日米協会の事務局長を務めたり、今でもセントポール・長崎姉妹都市委員会の一員を務めています。私は、娘のJETとしての一年が、冒険、友情、旅行や新しいことへの挑戦にあふれるものになることを願っています。私のときと同じように。

6月に夫と一緒に娘に会いに行く予定です。その際に、33年来の友人達に会いに東京に行きます。娘にも将来同じようなことがあればいいなと思います。

プロフィール
エリザベス・シマーは、ミネソタ州セントポールで、小学校の先生のために読み書きと数学の教授法の指導をしています。彼女はWartburg College、日本の国際基督教大学、セントポールのSaint Catherine Universityに在籍し、教育学の修士号を取得しました。彼女は長崎とセントポールの友好関係のために尽力しています。

 
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