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JET Streams – Summer 2019

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JET Streams

2019年JET Streams夏号

JETAA(元JET参加者の会)
 
JETの向こうに
ニューヨークにおけるJET出発前オリエンテーションでの講座について

サラ・マクレーン氏、元長崎ALT、2013年~2016年

ニューヨークで行われたJET出発前オリエンテーションには、日本の自治体への任用される50人以上の新しいALTとCIRが参加しました。JETAAから日本における生活の基盤について説明の後、今年はさらに2時間の日本語講座が新しく導入されました。基礎から中級レベルまでの文法や語彙を学ぶこの講座では、様々な背景を持つ新規JET参加者が、日本で使用するであろう日常会話を学ぶことができました。

この講座では、コンビニでレジ袋が不要であることを伝える表現から、普通列車や特急列車の見分け方など、身振り手振りをしなくても意味を伝えることができるように、様々な知識を学ぶことができました。さらに、参加者自身の言語を教える前に、他の言語の講座を見学する機会ともなりました。

現地の人々とのコミュニケーションにおいて、新しい言語の習得が必須である国に引っ越す場合、社会へ適応するためには更なる困難が加わります。例えば、コミュニケーションスキル不足で、欲求やニーズを伝えることや、賃貸契約、一人で銀行口座を開設することなどが非常に難しくなります。

アメリカの新しいJET参加者は夏を利用して日本での生活に備えます。新しく導入した日本語講座によって、彼らが日本での日常生活に早く慣れることを願います。

プロフィール
サラ氏は2013年から2016年にかけて長崎にて、2017年から2018年にかけて東京にてALTとして活動しました。現在はニューヨークに居住し、7歳から70歳までの生徒に日本語と英語を教えています。また、コロンビア大学日本語学部の助教授として活動しています。

慣れ親しんだ場所、新たな出会い:家族と再び日本へ

アンソニー・フレッチャー氏、元長崎県ALT、1998年~1999年

昇降口の下駄箱に置かれた靴。教室を出入りする黒い制服姿と体育着姿の子供たち。長い廊下に並ぶ引き戸。すぐに、日本の学校で過ごした感覚が再び戻ってきました。しかし、私の2人の娘は同じような心地ではなかったかもしれません。娘たちは休暇の一時を過ごすはずだったのですが、友人に招待され、愛知県豊川市の小学校にて半日を過ごすことになりました。彼女たちは「私はソフィーです。」「私はエリスです。」と練習しており、その様はまるで小さなお侍さんのようでした。



ソフィーとキク


ワコとエリス

私は20年前にALTとして参加し、今回、20年ぶりに家族と一緒に日本に戻ってきました。ずっと日本に戻ってきたいと思っていたのですが、日々の暮らし――子供や仕事、海外への引っ越し――のため、それはかないませんでした。他の人にとってJETプログラムでの経験は、結婚して日本に移住する等、人生を大きく変える機会になることもありましたが、私の人生は逆方向へ進み、遂にはベルギーへ赴くこととなりました。しかし、日本はいつも私の心の中に存在し続けていました。まるで優しくて心地よい鼻歌のように。日本で暮らしたことによって、交友関係や文化的経験はより良いものとなりました。そして強く日本に戻りたいと望みは依然として変わりませんでした。

日本に戻りたいと思ったきっかけは他にもありました。私の友人たちは、ベルギーで10年間を過ごした後、3年前に日本へ戻りました。友人たちの二人の娘は私の娘たちと同い年で、長女同士のソフィーとキクは連絡を取り合っています。スコットランド系ドイツ人と日本人である二人は、フランス語で連絡を取り合っていたのです。

バスから見えた最初の景色、九州本土と私がALTとして滞在した島をつなぐ平戸大橋は、鮮やかな赤に彩られ、私の気持ちを浮き立たせました。私たちが過ごすゲストハウスは素朴で魅力的な民家で、4年前に島ののどかな雰囲気に惹かれた石黒氏によってリノベーションされたものです。私は少々覚束ない日本語でチェックインを済ませ、日本に戻ってきた嬉しさについて説明しようとしました。

Hideki and Anthony at Kotonoha Guesthouse, Hirado

Hideki and Anthony at Kotonoha Guesthouse, Hirado

オランダが17世紀に貿易拠点を建てた所にある歴史地区の見学から戻ってくると、石黒氏の友人で、平戸大橋の対岸でカフェを経営しているヒデキに声をかけられました。彼はかつて、私がALTだった時に平戸中学校にて私が担当した生徒でした。彼は最初「髪型が…全然違う!」と言いながら、私がアンソニー先生であると確信がなかったようですが、私が本当に彼のALTであったことを認識できました。彼はフリーランスのTVディレクターとして10年程東京で過ごしたあと、実家に戻ってこの仕事を始めたそうです。

翌日の晩、ヒデキはアイスクリームと中学の卒業記念アルバムを手に携え、私がいるゲストハウスを訪れました。アルバムには、今よりも髪の毛が多い私と若かりし頃のヒデキが写った写真がありました。戻ってきて非常に嬉しかったです。この町は、私の記憶の通りに美しく静かで、ゲストハウスの夜は誰も予想し得なかった再会の雰囲気に包まれました。

Hideki with Karina, Sophie and Elise

カリナ、ソフィー、エリスとヒデキ。

これは私自身の話だけではありません。この旅は、ベルギーで非ベルギー人の両親の間に生まれた4人の女の子たち、ソフィーとエリス、キクとワコを再会させる機会でもありました。キクとワコは3年間日本で過ごしており、クラスに溶け込んでいて、目立ちません(私の娘たちが用意した短い発表文をフランス語から通訳するまでは)。廊下から見た教室の中で、娘たちが私の育ったスコットランドよりもむしろベルギーのことを、フランス語で紹介しているところを見ると、人生の半分が過ぎたことを実感します。娘たちは書道や英会話、スポーツのクラスにも参加し、私は二人の面倒を親身に見てくださった先生方のお心遣いに感動しました。この日の終わり、子供たちは一緒に愛知の野原を歩き抜けて帰りました。

キクとワコが、家ではヨーロッパでの幼少期の思い出を残しながらも、日本での生活に溶け込んでいくさまを窺い知れたことは、興味深かったです。友人の家族は「ベルギー式解決法」というタイトルの本を持っています。この本には道路の穴ぼこ、無くなったゴミ箱やフェンスなど、ブリュッセルのいたる所で見られる即席修理について書かれています。このようなブリュッセルの風景は、整然としている日本とは完全に対照的です。友人たちは、時々ベルギーの多様性と魅力的な混沌を恋しがっているようです。彼らは帰国後、普段外国人に許される「日本生活に慣れる時間」もなく、日本社会へ再適応しなくてはならなかったのです。私たちは彼らと地元の神社を訪れて、自分たちで掘ったタケノコを食べて素晴らしい時間を過ごしました。

Kiku and Sophie

キクとソフィー

九州の端から日本アルプスまでの長い道のりに及んだ家族旅行は、忘れがたいかけがえのないものになりました。友達と近況を話し合って、人生において重要な場所への再訪、思いもよらなかった教え子との再会、これらは旅における喜ばしい出来事です。田んぼの世話をする高齢の農夫、丘の上にある神社、思いもよらない場所にある自動販売機等、20年前に取った写真の風景が蘇りました。ALTの時には街にあふれた「文法的に疑わしい英語のフレーズ」はもうなさそうです。一方で、フランス語のブランド名が次々に現れています。「Plus ça change」(変化し続けても、本質は変わらず同じである)。桜の花が散り始める頃、私たちは日本を去ります。

私のALTとしての経験は僅か1年でした。特に42歳の父親という視点から振り返ってみると驚くほど短い期間です。しかし、この経験が私にとって決して見失うことのない国際的視点や方向性をもたらしてくれました。私の知っている多くのALT経験者が、何らかの形で国際交流に携わるキャリアを持っていることは、驚くようなことではありません。私の娘たちにおいても、この旅に対する期待が初めての日本生活の経験に変わり、文化的経験を友人と共有したことは、彼女たちとって一生忘れられないものとなるでしょう。遺伝的な癖のように、私が21歳だったころから存在し続けていた日本という鼻歌は、娘たちへ受け継がれました。この歌が彼女たちに豊かさ、方向性、機会をもたらすことを望みます。かつての私がそうであったように。

プロフィール
1998~1999年の1年間、ALTとして長崎県に派遣されました。出身はスコットランドのエディンバラ市であり、シェフィールド大学にて国際交流を学び、現在はベルギーでフリーランスのライターをしています。

アダム・コミサロフ氏とのインタビュー[後半]

アダム・コミサロフ氏、元埼玉県ALT、1990年~1992年

後半のインタビューで慶應義塾大学教授Adam Komisarof氏は、大学教員の職を得ることと日本に住むことに関するアドバイスを共有してくれました。Komisarof氏は大学で教員のポジションを得るためには、学会に所属することが重要だと話していました。学会で研究発表することや、似た分野の先生方と出会うことでネットワークを築くことが出来るからです。また、引き続き日本で英語を教えることを希望する人に対しては、日本語を学ぶことを勧めていました。日本語を学ぶプロセスにおいて、自分の学生たちが外国語としての英語を学ぶ際に直面する困難さについて理解することができるからです。最後に、Komisarof氏自身は日本に住むことを決断し、長年にわたって生活し仕事をすることで充実した人生を送ることができていると話していました。その上で、「長期間に渡って母国を離れて日本に住むかどうかについては、後悔なく充実した人生を送るためにも、それぞれがよく考えた上で自分なりの納得できる決断することが重要である」と述べていました。

記事全文をご覧いただきたい方は、下記リンクからご覧ください(英語のみ)。
Link to the English version of the article

プロフィール
アダム・コミサロフ氏はアメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア市出身。1990年から1992年まで、埼玉県でALTとして働き、現在は、慶應義塾大学文学部で教授として勤務。JETプログラムに関する3編の研究論文を発表し、異文化間コミュニケーションについて多くの書籍と論文を出版した。日本に住んで23年。イギリスのオックスフォード大学で1年間在外研究をしたことがある。また、日本、東南アジア、ヨーロッパ、アメリカにおいて多国籍企業を対象に異文化間コミュニケーション・トレーニングを20年間以上実施してきている。さらに、JETプログラムの国内及び地方研修においてワークショップを26回実施した。異文化理解及び平和的な人間関係を促進する目的の研究組織「International Academy for Intercultural Research(学会)」の副会長(次期会長)である。

思い出を語り合うひととき:山口県で30年ぶりの再会(2018年7月14日~16日)

リサ・ランド氏、元山口県AET(英語指導助手)、1988年~1990年

過去のことを思い起こしてみれば、たいがいの場合、盛大な行事ではなく、ほんのささやかなことが、もっとも幸せな輝きを放つものだと分かる。(ボブ・ホープ)

想像してみて下さい。あなたが1988年に来日したとします。日本語が全く話せません(ほとんど知りません)。インターネットもありません。だって、まだ先の話ですもの。Facetimeはもちろん、skypeも、YouTubeも、Facebookも、インスタグラムも、Snapchatもありません。手紙をもらった時(カナダ、アメリカ、イギリス、オーストラリアとかあなたが来たどの国でも)その大切な手紙を宝物のように扱います。その後何週間はもうこのような手紙をもらえないからです。もしメールで手紙を3通もらったとしたら、1つだけ開けて、残り2つは他の日のために閉まっておきます。

そこにはグーグルも、グーグルマップとかグーグル翻訳もありません。もしあなたが母国の情報が必要だったら、百科事典で探して見るか、実家まで手紙を送って家族に調べてもらうよう、頼まなければなりません。旅行する時は、紙の地図を見て、ここがどこか知るためにカタカナ、ひらがな、漢字を勉強しなければなりません。知らない言葉があってそれを人に伝えるためには、広島にある丸善で買った洋版のポケット辞典を取り出して調べます。(丸善は山口県の近くで洋書を扱う唯一の場所でした)

来日後、あなたが知っている英語のネイティブスピーカーはあなたと同じ県にいる人だけです。彼らがあなたの家族になります。もし彼らが泊まるところが必要だったら、喜んで部屋を貸してあげます。特に、最初の数か月は積極的です。日本語を学び始めたばかりですし、友達を作ろうとしているし、そして寂しいからです。国際電話の料金は1分当たり5ドルぐらいです。1本1本の電話がとても大切で、家族に本当に話したいと思う瞬間まで残しておきます。

これが1988年の私たちの日常生活でした。山口県に来たJET参加者の生活も日本の各地に配置されたAET(Assistant English Teacherの略で、当時の職名でした)の生活とあまり異ならなかったと思います。私たちはお互い頼りにしていて、話を聞き、必要な時は傍にいました。本当に「家族」だったのです。

From left to Right Amy Wilson, Lisa Rand, Bruce Grundison, Garrett Myers, Melinda Gould, Cassey Sheppard, Karen Blake

左から: Amy Wilson, Lisa Rand, Bruce Grundison, Garrett Myers, Melinda Gould, Cassey Sheppard, Karen Blake

再会の集いは2018年7月14日から16日まで徳山(山口県の中央部に近い)で開かれました。私たちのほとんどは28年間も日本を訪れていませんでした。ようやく再会できた皆は、涙を流しながらお互い抱き合いました。お互い昔よりも体重とともにしわも増え、さらには白髪も生えていました。しかし、皆にとっての28年という時間の隔たりは一瞬にして消えて無くなりました。

私たちはそれぞれ経験したことについて話しながらいい時間を過ごしましました。初日は居酒屋に行って夜ご飯を食べました。過去の思い出について話し、涙を流しました。私たちは山口県のいろいろなところで教えました。Karen Blakeは宇部市で、Garrett MyersとAmy Wilsonは防府市、Bruce Grundisonは光市、Cassey Shepparは下関市、Melinda Gouldは下松市、最後に私は岩国市で働きました。私たちはお互いに昔の写真を見せました。当時は皆若かったのです。Karenは23歳になった娘、Madisonを連れてきました。私たちが日本に来た時は、だいたいみんな23歳だったのです。Madisonは本当に若く見えました。私たちも1988年には彼女ぐらい若く見えたのでしょうか。

次の日、土曜日の朝、私たちは辺りを歩き回りながら思い出を回想しました。トポス(みんな大好きだったディスカウントストア)は無くなっていました。当時、日本で住むにはとてもお金がかかりました。今は商品の価格が手頃になったと思います。1988年には、メロンが4200円ぐらいしたので、店で980円のメロンを見た時は信じられませんでした。街を散歩しながら、お互いの近況を話し合いました。結婚、子供、そしてどこで働いているのかについて、また、再会の集いに来られなかった人、現住所を探せなかった人についても話しました。

午後は一部のメンバーで健康パークに行って温泉、プールとウォータースライダーを楽しみました。その後、夜には健康パークアガーデンを楽しみました。Melindaは運がよく、一緒に働いた英語の先生たちが彼女に会いに来てくれました。また思い出話で盛り上がり、当時私たちが企画したカナダ及びアメリカの感謝祭の夕食会について話しました。持ち寄りパーティーをして、それぞれが好きな料理を持ってきたことも思い出しました。もう一つ記憶に残るのは、防府市で開いたハロウィンパーティーのことです。

私たちは創造力を活かし、コスチュームを自分たちで作りました。スリー ブラインド マイス、日本の中学生、お寿司、そしてエビの天ぷらまで、ユニークなものが多かったです。もちろんたまには大きなパーティーもしました。(一緒に集まる理由なら何でもよかったです!)もし当時の科学技術が発達していたら、確かに私たちの生活をもっと便利にしてくれたかもしれませんが、このようにみんなと親しくなれなかったかもしれません。夜の終わりが近づくにつれて、私たちは次の日に山口市に出勤するAmy、そして香港で働くBruce、ナッシュビルに帰るKarenと彼女の娘との別れの時がやってきました。

また会えるかどうか分からなかったので悲しいお別れでした。再会の集いの最終日の日曜日には、フェリーに乗って大津島へ向かい、回天記念館(人間の魚雷)に行きました。低い山を登り美しい湾を望むことができました。そこでは回天訓練が行われたそうです。母として、自分の19歳の息子Liamが、魚雷のひとつに溶接されて戦場に送られるなんて、想像できません。カナダと日本は戦時中、敵対する立場でしたが、自分の息子が死ぬだろうということを知りながら、戦場に送らなければならなかった日本の母たちの気持ちに共感します。

私たちは下松市に戻るフェリーに乗って食事を最後に再会の集いを終えました。過去の記憶を辿り、たくさん話し、思い出を共有しました。次の朝、私たちはそれぞれ旅立ちました。Garretは防府市と日本の他の地へと旅を続けます。Casseyは横須賀市で新しい仕事を続けていて、私は30年間に会っていなかった友達や元同僚の先生と再会しました。MelindaとJayは4つの英会話学校を経営している大阪に戻り、途中でコストコに行く予定でした。日本にコストコもあるなんて、本当に日本は大きく変わりました!

Group Photo 2

左から: Cassey Sheppard, Melinda Gould, Lisa Rand, Karen Blake, Garrett Myers

正直、日本に戻る前は不安でした。来日したばかりの1988年には、孤独に感じたり、ホームシックになった以外にも毎日のように指を差され、「外人」と呼ばれていたので、2年後には、その呼び方にうんざりしていました。しかし、戻ってきてから、日本が大きく変わったと気が付きました。日本人はもう相手が「外人」かどうかを気にしていないようでした。今は、外国人に対してより受容的で親切であるように思います。それなのに、ある意味では、変わらなかったこともあります。日本は、今でも歴史や文化の豊かな国であり、心に触れる優しい人々も多くいました。

最後に、山口県の30年ぶりの再会を開催してくれたMelinda Gouldには、心から感謝しています。みんなを探して、再会を企画するのには、きっと数え切れないほどの時間がかかったと思います。色々な大切な思い出を振り返り、うれし涙を流すことのできる素晴らしい機会を提供してくれて、心からありがとう。

プロフィール
リサ氏は1988年から1990年にかけてAET(英語指導助手)として勤務。彼女は、一年目に岩国市内の26の校で働いていて、二年目からはDavid Fazioというアメリカ人と共に働き、26校を二人で分担し、13校で教えました。現在、彼女は夫のKerryと二人の子供LiamとKaitlynとカナダマニトバ州のラック・デュ・ボンネットに住んでいます。先生として、フッター派のコロニーにて幼稚園から小学校4年生を教えています。

日本の最高の秘密

カレンナ・レイデイー氏、元長崎県ALT、2000年~2002年

JETプログラムに受かったことを知った日は私にとってほろ苦いものでした。16歳の時に交換留学生として初めて日本を訪問して以来のいつか日本で暮らして仕事をしたいという夢がやっと叶い、非常にワクワクしていました。一方では、自分が興味を持って成し遂げたかった「ジャパニーズヨガ指導者トレーニング」という集中的なコースの前期を終えたところでした。

ジャパニーズヨガ指導者トレーニングを無限延期してJETプログラムに参加するか、トレーニングを修了するためにJETプログラムへの参加を辞退するか、ジレンマに陥りました。「どうしよう…」と悩んでいました。ご想像の通り、JETプログラムに参加することにしました!ジャパニーズヨガ指導者トレーニングをやめた日に、「いつかこのトレーニングを絶対修了しよう!」と自分に約束をしました。そして、2000年7月にALTとして長崎県上五島へ旅立ちました。

View from Kamigoto JHS

上五島中学校から見える風景

美味しい刺身、素敵な浜辺や教会堂で知られ、小さな島である上五島には、私が史上初のJET参加者でした。広い心を持ちながら、大学で習ったテキストの日本語やジャパニーズヨガの本を持って来日し、この先に何があるか期待が湧き上がりました。しかしながら、大都会であるシドニーで生まれ、育っだの私は田舎暮らしの経験がほとんどなかったため、離島生活に関する課題を数多く見出しました。気を確かに持ち自分を見失わないようにするために、自分自身の内的リソースや勇気を活かさないといけなかったと言っても過言ではありません。

数多くの課題のうちの一つは、高等学校や大学で習っていた日本語と実際に使われた話し言葉の違いでした。(五島弁は非常に独特です。例えば、「みじょか」の意味は「美しい」です。)また、上五島でのゆったりしたライフスタイルも自分にとって完全に初めてであったため、時々心細く孤立感を感じました。今まで外国人を見たことのない地元の方々に頻繁に出会いましたが、いつも有名人か見世物のように見られました。私は今までそのような扱いを経験したことがなかったため、時々圧倒されると感じました。人生のほとんどのものと同様に、機会と課題がお互い釣り合いました。JET参加者として上五島に住んだことは、自分が決して想像もできなかった道で人間として成長するための素晴らしい機会であり、その機会に一生感謝します。

Enjoying Bonsai viewing after a Taishogoto Performance

大正琴の演奏後、盆栽を鑑賞している様子

JET参加者としての上五島での生活のハイライトは下記のとおりです。

・世界一美味しい刺身を毎日のように食べたこと
・新鮮な果物や野菜を地元の無人直売所で買い、お金は「正直ボックス」(料金箱)に入れたこと
・大正琴、剣道、生け花、茶道、太鼓のクラブに参加し、コミュニティに溶け込んだこと
・可愛い3歳の幼稚園生への授業から、生徒7人しかいない孤立した小学校をはじめとしたいくつかの小学校や、拠点の学校であった上五島中学校および大人向け英会話レッスンまで、幅広い年齢層の人々に英語を教えながら、絆を築いたこと
・九州周辺をはじめ、日本全国の様々な秘湯に行ったこと
・福島で開催された橋本宙八先生による一週間の半断食セミナーに2年連続参加したことを通じ、前のジャパニーズヨガトレーニングで見につけたマクロビオティックの原則をまとめることができました。マクロビオティックマスターの方から習ったこのセミナーは、私にとって本格的な体験になったこと。
・2002年4月、連休の間に京都でヴィパッサナー瞑想コースを受け、聖なる沈黙の10日間を過ごしました。この経験は、今になっても私の人生に影響を与え続けていえう。
・日本語能力試験2級を取得したこと

Practising Tea Ceremony

茶道を習っている様子

2年間、献身的な離島生活を送った後、2002年にJETプログラムを終了して上五島から離れ、人生の次の章に進むことを決意しました。シドニーへ戻り、自分の流暢な日本語や精神力及び講師としての経験が活かせる仕事を熱心にしようとしていました。シドニーへ戻り、私の逆カルチャーショックの緩和になれそうなジャパニーズヨガクラスにまた参加することができるようになりましたが、自分のキャリアにおける次のステップに集中したかったため、ジャパニーズヨガ指導者トレーニングを二の次にすることを決断しました。

JETプログラム終了後、数年間にわたって様々な仕事を経験しました。上五島で身につけた持続力、文化意識、日本語能力といったJETプログラムでの経験のおかげで、このような多様で面白い職務を経験することができたと思っています。

・中東にあるバーレーン王国でガルフ・エアの客室乗務員として働きました
・人気のあった日本酒カクテルバーや日本食レストランを管理しました
・大学に戻り、日本語教育の修士課程に進学しました
・修士課程を一旦保留し、愛知県で開催された2005年日本国際万博会におけるオーストラリア・パビリオンに勤めました
・2005年日本国際万博会の成功を基に、愛知県に引き続き数カ月間に滞在し、オーストラリア政府の文化大使として働きました
・修士課程を修了し、オーストラリア教育システムの日本語教師として正式に採用されました。2006年から2015年にかけてオーストラリアでいくつかの優秀な学校で教えました

Australian Cultural Ambassador as part of the Post Aichi World Expo Project

日本国際万博会におけるオーストラリア・パビリオンにてオーストラリア政府の文化大使として活躍

同時に、ジャパニーズヨガへの情熱の炎が消えないように、ヨガクラスに常に通いながら、ヨガに関するセミナーやリトリートにできるだけ参加するようにしていました。2015年に、とうとうヨガをやらずにはいられなくなりました。15年間も経ちましたが、やっとその時が来ました!何年も前に自分が始めたジャパニーズヨガ指導者トレーニングに再び登録しました。

「ジャパニーズヨガって一体何だろう。」と疑問に思っているでしょう?これはやはり日本でもその他の国々でもまだ広く知られていません。簡単に説明すると、ジャパニーズヨガは鍼なしの鍼治療みたいなものです。ジャパニーズヨガは、中国伝統医学、禅指圧とマクロビオティックの食事へのアプローチに関する知恵を基に、病気を引き起こすエネルギーの詰まりを取り除き、身体を自然なバランスに取戻す効果があります。

ジャパニーズヨガについて非常に気に入っているのは、ヨガの練習により、肩こり、腰痛、頭痛といった特定の症状の改善を狙うことができるだけでなく、それを簡単に効率よく癒すこともできることです。ヨガポーズは季節ごとに変わるため、長く楽しく続けられます。総合的に疲れた心の癒し、睡眠の質の改善、ストレスの削減、エネルギーレベルの増加という効果があります。ジャパニーズヨガと、自然とその要素、季節、自然食品との全体的なつながりは独特であり、有意義だと思います。このヨガスタイルを安全に教えるには様々なスキルを身に付けなければなりません。そのため、ジャパニーズヨガのメリットを完全に実感できるようになるには、仕事を休んだり、自習したり、数百時間ヨガクラスを受けたりすることが必要であり、他のヨガ指導者トレーニングコースより長いトレーニングを受けないといけません。

2017年にジャパニーズヨガインストラクター資格を取得した後、シドニーにある色々なヨガスタジオで教えている他、自分のジャパニーズヨガスタジオも開き、自営で週に数回ヨガレッスンを教えています。現在、オンラインヨガ講座を作成していますので、上五島をはじめ、どこからでも、簡単にこの素晴らしいヨガスタイルを体験できます。ジャパニーズヨガは間違いなく日本の最高の秘密の一つだと思います。

JET参加者の一員になった日から20年を迎えるにあたり、一周しても元に戻ったことを振り返ったら、私のジャパニーズヨガ指導者としてのキャリアへの道におけるJETプログラムのかけがえのない役割に深く感謝しています。皆様にも、いつか魔法のジャパニーズヨガに出会い、ストレスの削減やエネルギーの供給、及び自分との調和というジャパニーズヨガの効果を体験していただきたいと思います。

リンゴの木は、植えてから実をつけるまで6年間~10年間くらいもかかりますが、実つきが始まったら毎冬沢山の実がつき続け、翌年の春が来るまで辛抱良くまた待ち続けます。私は、親愛なる読者の皆様も自分の人生の季節を通じ、様々な夢を育み続けることを願っています。人生で一番後悔するのは、チャレンジをして失敗するよりも、挑戦しないことです。最後に、読者の皆様には、自分がなりたい人間、やりたいこと、欲しいものといったことをよく考えていただき、後悔しないようにそれに向けて踏み出していただきたいと思います。

プロフィール
カレンナ・レイデイー氏は、教育やジャパニーズヨガの分野において、20年以上の経験を持っています。彼女の使命は、ジャパニーズヨガを通じ、できるだけ多くの人々に自分の健康・活気・豊かさの自然な状態に戻す力を与えることです。カレンナ氏は、特に男女に素早いかつ効率よく日常生活におけるストレスの軽減やより多くのエネルギーを感じてもらうように、情熱的に取り組んでいます。カレンナ氏の暖かさ、ユーモア、精神力や現実性が、彼女独自のジャパニーズヨガの教え方を形成しています。ジャパニーズヨガやこの魅力的なヨガスタイルに関する情報、またはカレンナ氏のオンラインジャパニーズヨガ講座にご興味のある方は、彼女のウェブサイトwww.karennareidy.comをぜひご覧ください。また、彼女のインスタグラムは「@karenna_reidy」、フェイスブックは以下のとおりです。https://www.facebook.com/KarennaReidyLovingEssentialOilsandJapaneseYoga/

コナン・オブライエンが、2019年の日本旅行先として第一位に輝いた鳥取県のコナン町を訪れることになったきっかけには、JET経験者の存在がありました。

クリストファー ・J ・ハリス氏、元鳥取県ALT、2009年~2014年

U.S. Comedian and Talk Show Host, Conan O’Brien, stands with the mayor of Hokuei (“Conan Town”) in Tottori Prefecture, Mayor Matsumoto, at Conan Station to settle their feud.

アメリカのコメディアン兼バラエティー番組司会者であるコナン・オブライエンが鳥取県北栄町の町長である松本町長とコナン駅で決着を着ける様子

鳥取県の在職公務員へのインタビュー

1.現在の日本でのお仕事は何ですか?

私は鳥取県の中心にある北栄町(通称コナン町)で正規の公務員として働いています。北栄町の正規公務員としては外国人初です。

私は北栄町役場の経済企画課政策企画室で、外交・国際交流・外国語教育担当主任として現在働いています。また、教育委員会や観光交流課にも在籍しています。北栄町は「名探偵コナン」の作者、青山剛昌氏の出身地であり、この世界的に有名なアニメ・漫画に関連するたくさんの観光地があることで知られています。

世界的に有名なアメリカ人のコメディアン兼バラエティー番組の司会者であるコナン・オブライエンとの掛け合いの影響で、2018年9月に北栄町は世界的に有名な町となりました。北栄町の町長である松本昭夫氏とコナン・オブライエンとは、「コナン」の名前を町が使用していることで確執がありました。コナン・オブライエンは名前の使用料として3兆円を請求しましたが、松本町長は「お金が欲しければ、15,000個のハンバーガーをお土産にもって北栄町に来てください」と回答しました。しかし、実際、この二人の交流のきっかけを作ったのは私だったのです。コナンの要求に応えることは私のアイデアで、3人の同僚と一緒に世界に笑いを届けることと北栄町への観光者数を増やすことを同時に成し遂げました。これは一生ものの経験となりました。私たちの努力が報われて、鳥取県が日本の観光旅行地第一位となったのです。(GaijinPot Travelのランキングより)





朝日新聞 はコナン・オブライエンとコナン町の町長との交流にきっかけを与えたとしてハリス・クリストファーを紹介。

コナン・オブライエン対コナン町のエピソードを見逃しているのであれば、ぜひYouTubeで調べてみてください。また、TeamCocoのウェブサイトでも”Conan Japan”と検索してください。そこでは、「コナンがコナン町に訪れるまでの裏話」という1時間半のスペシャル番組も公開されており、コナン・オブライエンと松本町長が面会するプロジェクトの調整や通訳に取り組む私の様子が紹介されています。

Conan O’Brien with Christopher Hollis and Chris’s wife and younger son.

右からクリストファー・ハリス、コナン・オブライエン、ハリスの妻、ハリスの息子

Public Service Employee of the Year Award - Awarded to public service employees who make exceptional positive change through their ideas, initiatives and efforts. Reason for award: It was my efforts through Hokuei’s interactions with Conan O’Brien in September of 2018 (due to the original projects that I initiated and organized) that caused Hokuei to achieve worldwide recognition. Awarded on December 28, 2018.

公的な表彰状 – 自身のアイデアや自発性、努力によって例外的に功績を残した者に贈られる。表彰理由:北栄町対コナン・オブライエンの2018年9月(元のプロジェクトが実際に計画された時期)に行われた争いによって世界的に北栄町が認識されるほど有名になったのは、自身の努力があったため。2018年12月28日に表彰。

2.正規の公務員の職をどのように得ましたか?

アメリカのアーバナ市とシャンベーン市にまたがるイリノイ大学でTESLの修士号を取得した後、JETプログラムの参加者として鳥取県に訪れ、5年間滞在しました。3年間は町の小中学校で、2年間は鳥取県の高校や特別支援学校で教えました。

外国語教育や交換留学に対する熱意をもって、信頼でき頼れる存在と認めていただけたことで、JETプログラム終了後、私は北栄町と5年間を限度とする直接雇用の契約を結びました。5年間熱心に働き、粘り強く北栄町のために尽くしたことで、北栄町は私のことをかかせないユニークな人材と認めてくれました。私は2019年上旬に行われる北栄町職員採用試験を受験することを勧められ、2日間に及ぶ日本語で行われる試験を受けた後、合格しました。そのような経緯を経て、新しい時代である令和とともに、私は2019年4月1日に外国人として初めての公務員になりました。

New tenured employee training seminar in Japanese Law! (in 100% Japanese)

新規職員向けの行政法に関する研修

3.JETで培った経験はキャリアに影響しましたか?

答えはこの一言に尽きます。「はい!」JETプログラムではイリノイ大学の修士課程で学んだ英語教授法(TESL)を日本の草の根レベルで実践できました。私は5年間のJETプログラムを通して、数えきれないほどの生徒の成長に携わりました。英語や私の母国の文化に対する生徒の理解が深まったのと同じように、異文化コミュニケーションや、外国語教育、日本文化に対する私の理解も深まりました。日本人の同僚や学生、地域コミュニティに直接関わることで、身をもって、内容の濃い国際交換を実現するための秘訣を学びました。例えば、様々な異文化交流イベントの開催、(それぞれの学校で)英語多読クラスの開講、オーストラリアの学校との文通、町の図書館における英語コーナーの設置、タウンマガジン向けに日本語で世界の出来事について執筆、”Hello Hokuei”というコナン町のプロモーションビデオ作成や編集など、幅広いジャンルで活動を行いました。私はJETプログラムを通して、世界のために自分らしさを最も生かすことができる役に立てる場所を見つけました。このような経験を経て公務員が私にとっての天職であることに気づきました。

また、JETプログラムのおかげで成功に必要なスキルを磨きました。私は、東京で行われたJETプログラムのオリエンテーションで3回連続アシスタントを務め、「日本の職場の文化とマナー」について講義をしました。新規JET参加者が新しい職場に少しでも早く馴染めるように、日本の職場で重要なふるまい方やマナーについて紹介しました。この機会をいただいたことで私のプレゼンテーションスキルは向上しました。講義で学んだスキルは、JALT国際会議など世界中の言語教授法会議や言語習得法会議などにおいて今でも役に立っています。(現在はJALTの鳥取支部: jalt.org/groups/chapters/tottoriで支部長を務めており、日本と海外間における外国語教育と交換留学のさらなる発展に毎日励んでいます。)

JETプログラムでは異文化コミュニケーションや協力性、共感性、チームワークなどたくさんのスキルを他の参加者と共に磨くことができます。私の経験上、JETプログラムの活動は私の人生を変えるきっかけとなったので、未来の参加者にどのような素晴らしい影響をもたらすのかを楽しみにしています。

Tottori JALT Language Teaching Workshop – Christopher Hollis, far left in the red sweater, is the current president of the Tottori Chapter of JALT

鳥取県JALTの言語教授法ワークショップにおいて左端に立っている赤のセーターを着ている方が現在のJALT鳥取支部の支部長であるクリストファー・ハリス

4.新規JETプログラム参加者へアドバイス

何事にも興味を持ち、チームと協力して活動してください。また、自分ならではのユニークな才能やスキルを生かせる場所を見つけ、積極的に様々なことを学んでください。あなたの1つ1つの考えや行動が未来に繋がります。声を必ず聴かせることが大切ですが、他の人の考えを聞くことも大切です。謙虚な姿勢を保つ限り、私たちは失敗から学ぶことで一人の人間として成長します。あなたにしかできない方法で外に出て世界に影響をもたらしてください。ただ、世界の偉業はチームワークで成し遂げられていることも心に留めておいてください。架け橋となり、信頼を築き、頼りにされるようなサポートを提供し、どんなときも自分が受ける対価以上のものを相手に返せるように努めてください。あなたならではの自分らしさを生かしてください。みなさんのご活躍を応援しております。頑張ってください。

クリストファー・J・ハリスの全インタビュー及び記事はここから見ることができます。

Christopher Hollis and his coworkers at the Hokuei “Conan Town” Office that planned the Conan O’Brien interactions on the Japan side

クリストファー・J・ハリスとその同僚がコナン・オブライエンに対する日本の返答について北栄町コナン町の事務所にて打ち合わせをする様子

リンクに関する追加情報
コナン・オブライエンと鳥取県の北栄町コナン駅とのやり取りについてのウェブサイト

コナン・オブライエン対コナン町に関するYouTubeビデオ

1、コナンが名探偵コナンを呼び出す: https://www.youtube.com/watch?v=EstNcJOQRzI
2、コナン町長に対するコナンの返答: https://www.youtube.com/watch?v=ogIfCLyw-FA
3、日本旅行の発表: https://www.youtube.com/watch?v=tdxHSX9RPUs

コナン・オブライエン対コナン町

・コナンのコナン町への旅: https://teamcoco.com/japan/conan-visits-conan-town-in-japan
・裏話(コナン・オブライエンの来日に至ったクリスの企画作成の様子):
https://teamcoco.com/japan/conan-visits-conan-town-in-japan/related/behind-the-scenes-with-conan-in-conan-town

In Hokuei you can enjoy tourist attractions related to Detective Conan and beautiful scenery.

北栄町では名探偵コナンの観光名所

・2019年日本旅行先として第一位として紹介された鳥取県!

ある理由で2019年日本旅行先第一位に輝きました。いつでも遊びに来てください。

About the Author
クリストファー・J・ハリスはアメリカのイリノイ州にあるスプリングフィールド出身で、JETプログラムで2009年から2012年の間、北栄町の中学校でALTを経験した後、2012年から2014年の間、鳥取県の高校でALTを務めました。現在は鳥取県北栄町の外国語指導員兼主任(Director of Foreign Affairs, International Exchange and Foreign Language Education)に就任しています。日本でALTとして働く前は、イリノイ大学(iei.illinois.edu)で世界中の留学生向けに開講されている集中英語講座で英語を教えていました。クリスはアーバナ市とシャンベーン市にまたがるイリノイ大学にてTESLの学芸修士を取得しました。また、彼はJALT鳥取支部の支部長をも務めています。(jalt.org/groups/chapters/tottori)

・クリスのLinkedInの連絡先:http://www.linkedin.com/in/christopherjhollis/

・クリスをフォローすると、彼が運営に携わっている北栄町ソーシャルメディアが公開している”Hello Hokuei”の動画を視聴することができます。
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Twitter: twitter.com/koho_hokuei
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