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2018年JET Streams春号

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JET Streams

2018年JET Streams春号

ニュース
JETAA(元JET参加者の会)
JETの向こうに
JETプログラムキャリアフェア:元JET参加者が現役JET参加者に新しい仕事の道を開く

JETプログラム事業部、CLAIR

去る2018年2月、今年JETプログラムを終了する参加者のため、自治体国際化協会(CLAIR)及び各地の商工会議所が連携し、毎年恒例の「JETプログラムキャリアフェア」を大阪及び横浜で開催しました。

2014年以前は、JET参加者に就業・進学のチャンスを与えてくれる民間企業の関係者や大学院/ビジネススクール関係者と交流できる場を設けるため、現役JET参加者のボランティア団体であるAJETが「AJET・インフォメーションフェア」をCLAIR主催「JETプログラム終了前研修」の会場で開いていました。そこからインスピレーションを受け、CLAIRがより主体的に日本で就職を希望しているJET参加者を支援するため、2014年2月に従来のインフォメーションフェアをCLAIR主催の「JETプログラムキャリアフェア」として改めました。初回の開催では27社ほどの企業に出展していただきました。

こちらのキャリアフェアが誕生して以来、たくさんの優秀な元JET参加者が所属企業や取引先などに本イベントをPRしてくださったおかげで、毎年のようにイベントが拡充・拡大され、数多くの企業が出展し、複数の地域で開催されるイベントとなりました。今年は、2月3日に143名のJET参加者と31社の企業が大阪会場(梅田スカイビル)のキャリアフェアに参加し、過去最高の参加者数・出展企業数に達しました。また、2月25日には、首都圏会場(パシフィコ横浜)に352名のJET参加者と75社の企業が足を運んでくださり、さらに賑わいを見せました。

両キャリアフェアにバラエティに富んだ企業が揃い、海外進出を視野に入れている中小企業をはじめ、日系の大手総合商社、国際的なホテルチェーンや航空会社、名高いエンタテインメント会社や様々な企業に出展いただきました。

過去数年のキャリアフェアを見てきたCLAIRの担当のコメント:毎年、2年連続で参加しているJETが増えています。1回目の参加では、将来のことを悩む現役JETとして参加し、翌年、就職に成功した元JETとして戻り、企業のブースを担当しています。このように、キャリアフェアへの参加がJETの採用に繋がっていることを大変喜ばしく思っており、自社の人事担当にJETプログラムのことを紹介するなどキャリアフェアへの周知に協力してくださった元JETの皆様に感謝しています。今後も、グローバル感覚を身に着けた優秀なJET参加者の採用に関して熱心である企業に出展していただくとともに、より詳しく日本及び海外における就職活動に関する情報をJET参加者の皆様に提供していきたいと思います。

日本の先進自治体の優良施策(ベストプラクティス)- 日本の地方自治体の先進的な取組を紹介する資料

CLAIR

日本は現在、超高齢社会、少子化、労働力不足、地域コミュニティへの関心の低下、防災、環境保護など、大規模な社会問題に直面しています。他の国々でも対応が迫られるこれら社会問題の解決に向けて、日本の多くの地方自治体は、世界的にみても注目に値するユニークな取組を進めています。

毎年、CLAIRでは先進的な取組をピックアップし、英語に翻訳して(2017年度から一部事例は仏語、韓国語、中国語にも翻訳)ウェブサイトにアップロードしていますのでぜひご覧ください。この資料が日本と同じ問題を抱えている各国の地方自治体に役立つこと、また地方自治体間の交流の懸け橋になれば幸いです。

2017年度のベストプラクティスをCLAIRのウェブサイトにアップロードしました!以下のリンクからご覧いただけます。

www.clair.or.jp/j/library/bestpractice.html

JETAA-I会長を務めた2年間を振り返って

Xander Peterson、元宮崎県都城市ALT

jetaa-i-global-forum

2018年4月1日付けで、JET元参加者の会であるJETAAの国際委員会(JETAA-I) の会長任期の2年間が満了します。この役を務められたことは名誉と光栄であった上、その期間にJETAA-Iが達成したことを深く誇りに思っています。その成果や団体の将来の目標と自分の今後のJETプログラム関係の取組について述べたいと思います。

初めてJETAA-Iと関わったのは2015年の秋、JETAA-USAの国代表であり、JETプログラム30周年記念式典の準備活動でCLAIRと一緒にJETAA-Iの再建に取り組みました。JETAAとJETプログラム参加者の会(AJET)の諸先輩方の協力のおかげで、1年以内にJETAA-Iを完全に再建できました。JETAA国代表全員の連携、新しい規約の策定、オンラインコミュニケーション制度の最新化とホームページの更新ができました。私の会長選挙とAshlie O’Neillの副会長選挙の後、最も大きな事業であった2016年11月のJET30周年記念式典において行われる国際フォーラムに力を注ぎました。

フォーラムは、トリニダード・トバゴ支部の入会を始め、大成功のイベントになりました。CLAIRの方及びJET関係3省と、JET参加者の国籍多様性の促進について有意義な意見交換を行いました。何より、19人の国代表の間の友好が築けたのは、実際に会ったからこそでありました。その日にJETAA-I 2.0が誕生しました。

その時以降に達成したことも多くあります。JET参加者来日直前研修・終了後研修に関して何度もAJETと協力し、全国AJETの代表と密接な関係を保ちました。また、CLAIRと継続的にコミュニケーションを図ったり多数の事業に協力したりし、これまで以上に強い関係を築きました。

国代表間の重要な意見交換等を行うことは、JETAAの仲をより親密なものとするという目標の達成に大切な機会となります。また、諮問委員会のメンバーとして素晴らしい人材を選んだり、ホームページ等の継続的な更新を通してウェブ上の存在感を高めたりしています。最後に、一番最近取り組み始めた事業、「県JET会」(KJK)は、大部分の都道府県で支部が設立され、非常に良い滑り出しを見せています。

このような成功があっても、他に取り組みたいことはまだたくさんあります。JETAAのメンバー数の増加も重要であり、JETAA-Iの指導や組織設立支援の成果として、新しい国を含めて新規支部3か所以上の設立を期待しています。終了後研修と他の事業において引き続き積極的な役割を果たすことができればCLAIR及びAJETとの関係がより強くなります。東京オリンピック・パラリンピックが近付きたくさんの元JET参加者が日本に訪れたがっているため、地方コミュニケーションの拠点としてKJKの成長をサポートし続けます。最後に、ウェブを更に拡大し、JET参加者と元参加者にグローバルリソースを与えます。以上の取組に限らず、今後とも様々な事業の継続や新規事業の発展を支援します。

Ashlie O’Neillは2年間の副会長経験により、会長の職務に最適の人材です。O’Neillと、これから副会長を務めるRose Tanasugarnを信頼しているので、JETAA-Iの今後の活動をその二人に委ねます。

JETAA-Iの会長を務めたことは、私の人生の最も光栄なことの一つでした。当団体の全世界的ネットワークの力を具体的に知り、全ての成功を誇りに思っています。2012年のJET終了から、まず日本国総領事館のJETプログラムコーディネーターを2年半、JETAA USAの国代表を3年間、そしてJETAA-I会長として2年間ずっとJETの促進に一生懸命頑張っています。この約6年間にJETプログラムをサポートする機会をたくさんいただき、非常に嬉しく思います。これからも、JETプログラム支援への努力を惜しむ意思は一切ありません。JETAAの職のおかげで日本との絆を保て、生涯の友にあふれたコミュニティーの一員になることができました。苦労もありますが、人生とキャリアへのポジティブな影響をいつも感謝しています。

Dev Bootcamp私の次の挑戦は、去年立ち上げたJETプログラム参加者と元参加者のソフトウェアエンジニア、UI/UXデザイナーやプロジェクトマネジャーの集まりである「JET Program Developers」のリーダーの活動です。ソフトウェアやアプリの設計で日本とJETプログラムに貢献する目標を持つ団体で、既に30人のメンバーがいます。これまではグループも私も多忙でしたが、これからは時間の余裕ができると思われますので、オープンソースプロジェクトの制作やJET関係者へのコーディングの指導に集中できると思います。興味のある方は、直接xanderpson@gmail.comまで私宛にご連絡ください。

 

日米協会創立100周年記念式典での天皇皇后両陛下へのスピーチ

Joe Yount、元山梨県都留市ALT、2008年~2012年

私は講演の数時間前、帝国ホテルの舞台上で、最初誰にお辞儀するかということで迷っていました。天皇皇后両陛下が先だと思っている人がいましたが、反対に聴衆が先だと思っている人もいました。会場のスタッフの指導で予行演習し、更にお辞儀の問題について話し合いました。結局、聴衆へのお辞儀の後、45度回って天皇皇后両陛下に向いてまたお辞儀することになりました。礼儀に関して困惑しているのが私だけではなく、大変安心しました。

数か月前に日米協会会長である元在米日本大使藤崎一郎氏から連絡があり、協会創立100周年記念式典でアメリカの若者元JET参加者を代表して天皇皇后両陛下、安倍総理大臣と他の来賓の方へあいさつしてくれないかとお願いされました。国の最も偉大な方々にあいさつする機会を与えてもらい、非常に光栄でありました。また、33歳であるにもかかわらずまだ若者を代表できて大変嬉しく思いました。日米協会へ入会してまだ一年でしたので、このような素晴らしいイベントに参加できることを全く予期していませんでした。

舞台上で何回かあいさつを予行演習した後、控室に戻り、そわそわと行ったり来たり繰り返しながら、わずか2分30秒のあいさつを2時間練習し続けました。緊張感を抑えられる自信がなく、あいさつ文の紙をコートのポケットに入れ、スーツがきつくなっていることに突然気が付きました。在日本臨時代理大使の到着後、私たち2人はシークレット・サービスに舞台まで連れて行かれ、途中で安倍総理大臣が合流しました。

聴衆に目を向けると、皆硬い面持ちをしていました。司会が起立を命じた瞬間、全ての注目が来場している天皇皇后両陛下に集まりました。天皇陛下が登壇され、私の目の前を通られ、私の近くに屈まれ、あいさつをされました。私は思い悩まずあいさつを申し上げました。天皇陛下の親切な振る舞いのお蔭で少し落ち着き、数分前の緊張が消えました。

何人かのあいさつや動画の上映が終わったら、私の番になりました。緊張感が急に戻ってきて、手や額から汗を流していましたが、必ず役目を果たしたいという思いでした。台まで進み、聴衆の方に向いてお辞儀しました。そして天皇皇后両陛下の方に向いてお辞儀をし、ポケットから原稿を出しました。次の150秒、無意識で話しましたので、自分が話している認識が薄かったです。何とか無事遂行でき、拍手を受けて大きく安堵しました。席に戻ると、総理夫人と目が合い、微笑むことができました。

私の役目が終わり、落ち着いて楽しむことができました。安倍総理からもわざわざあいさつしていただき、英語で「Good speech」と言っていただきました。

閉会まで政治家や他の来場者とお話し、夢見心地でした。総理大臣や名だたる政治家の方と交流したり、麻生元総理の弟にお褒めの言葉をいただいたりしました。たくさん笑い、素敵な出会いが多くありました。唯一の後悔は、鏡開き後の乾杯に参加できなかったことです。将来、またこのような素晴らしい経験を頂けるのであれば、その時は乾杯させていただきたいと思います。

プロフィール
Joe Yountは平成20年から24年まで山梨県都留市で外国語指導助手(ALT)として勤めました。
現在、アマゾンジャパン合同会社の社員であり、東京都に在住し、JETプログラム同窓会JETAAの東京支部の首長を務め、日米協会とJMECAAの会員になっています。週末には、以前住んでいた下北沢地区のあちこちのカフェで 友達と無名の映画について話しています。

故郷とは、自分の愛情がある場所

Richard Halberstadt、元山形県鶴岡市ALT、1988年~1990年

人生は不思議なものです。

1993年に石巻専修大学の英語の教授になるため、宮城県で2番目に大きい町、石巻市に引っ越してきたとき、そして、新たな生活に慣れること、友達を作ること、コミュニティに入ることに苦労した最初の数週間のときには、このようになるとは夢にも思いませんでした。

18年後、大きな転機が訪れました。石巻市での人生に慣れるには十分時間が経ちましたが、2011年3月11日には何も備えができていませんでした。マグニチュード9の東日本大震災の地震は大きな被害をもたらしましたが、石巻市の地域の場合は、後に来た津波の影響の方が大きかったです。石巻市の13%(73 km2)は中心部では最大7メートル、周辺では20メートル以上の波に飲まれました。そして、被災地の中で最も多くの約4,000人の方が亡くなりました。

私は被害からまぬがれましたが、多くの人と避難所に泊まり、黙示録のような状況に直面していました。街の大部分は津波によって破壊され、泥にまみれており、がれきが散乱していました。道路の真ん中には船があり、車が残されたビルの屋上や最上階の窓に突っ込んでいました。長い間ライフライン(水道、ガス、電気)がなく、家族や友達を失っていない人はいませんでした。

この状況に直面した私たちにとって、隣の福島県での原発事故について考える余裕はありませんでした。生活や街の復興に向けて、日々の生活を送っていました。しかし、結局原発事故から大きな影響を受け、人生の方向が変わりました。津波の約1週間後、東京周辺や東北に住む英国人が国外退避するように英国大使館から連絡が来て、無料でイギリスまで帰ることのできるチャーター便も準備されていました。しかし、私はあまりにもショックで、どうすれば良いか全く分かりませんでした。ある意味では、津波の余波の方が対応しやすかったです。しかし、石巻市の仲間たちは「行った方がいいよ。それでリチャードは安全だとわかるなら私たちも安心する」と言ってくれました。被災地にいたため、大使館の方が迎えに来てくれました(被災地以外の人は自分自身で成田まで行く必要がありました)。大使館職員の方は、私がまだ迷っていると気付き、決断を出す前に仙台まで一緒に行ってゆっくり話すことを提案してくださいました。涙いっぱいのさよならの後、仙台で英国大使館から福島の現状を聞いて、人生で最も大きな決断をするため眠れない夜を過ごしました。長く支えてくれた仲間たちをあんな大変な状況で置いて行かれないと決めました。できることが限られているかもしれませんが、一緒にいて結束力の強さを示すことができると思いました。次の日、石巻市に戻ったら幸せの涙でいっぱいでした。最初に来た時は何もつながりがない街だったのに、この決断は石巻市と周りの人との絆をさらに深めるきっかけとなり、人生にも大きな影響を与えました。

被災の数日後、ネタを探しているメディア記者がいっぱい来ました。彼らは特に残った外国人、私の話に関心を持ってくれました。地方新聞で短い記事から始まり、それが徐々に広がり、全国紙での記事やテレビにも何度も取り上げていただきました。できることが限られていると思いましたが、石巻市のひどい状況を世界に発信することで、石巻市の復興のための寄付や支援募集に貢献できればと考え、記事や取材のオファーを全部受けました。あまり売れませんでしたが(日本語での)本も出しました。石巻市の復興は今でも続いており、終わるまでさらに何年間もかかると言われています。

大学で良い仕事を得ていましたが、変化を求め、他の仕事を探し始めました。石巻市に長く滞在してきたお蔭で市の職員にも知られ、2014年に石巻市民と訪問者のために街や、震災、復興などについての情報を提供するセンターを開きたいと市役所から連絡が来ました。2015年3月に石巻市復興まちづくり情報交流館が開館しました。私を含めて3人のスタッフがおり、私はその夏に館長に昇任しました。そこでは、石巻市の震災前後の写真展示とともに、復興事業の進行状況や街の将来像を提供しています。東日本大震災に関するビデオも見せています。期待を上回る沢山の訪問者に訪ねていただいています。2018年初旬で訪問者の人数は47,000人以上となり、その中で2,500人は外国人でした。もちろん、被災地にある他の市町村が似たような施設を開館しましたが、石巻市の場合は、震災を実際に体験した、英語で説明できるネーティブスピーカーがいるという特徴があります。日本人だけではなく、幅広いお客様から「復興事業と震災のことをもっと知れて、訪ねてよかった」と聞き非常にやりがいを感じます。

2017年には3年目に入り、(理由の一つには自然な流れで)訪問者が少し減ってきましたが、被災地に来て自分の目で復興の進行状況を見たい人はまだ沢山います。時間が経っても震災を忘れないよう、又は生死を分ける差となる防災や避難の手順に関する教育や広報を続けるように、努力しなければなりません。

Richard Award2017年には意外なことにテレビ番組に出演する機会が数回あり、中でも面白かったのはBSで放送された「私が日本に住む理由」という番組でした。この番組は毎週1時間、日本に長く滞在している外国人を紹介するものです。他の番組への出演とともにこの番組は当館や石巻市を紹介する良い機会となり、当館の訪問者や観光客の増加にもつながったかもしれません。

2017年の最後のサプライズとして、いしのまき大賞(石巻商工会議所が主催)を受賞できたことは、とても光栄なことでした。この賞は石巻の知名度アップに貢献した人に与えられるもので、11年の歴史の中で初めて外国人が受賞しました。来た当初を振り返ると石巻市のコミュニティにこれほど馴染んできたのは信じがたい話ですが、本当に良い友達ができ嬉しく思います。東日本大震災を一緒に乗り越えたことにより特別な絆が生まれました。だからこそ、この街の復興に貢献したいと強く思います。

人生はやはり不思議なものです。

プロフィール
リチャード・ハルバーシュタット氏は東洋アフリカ学院(ロンドン大学)で日本語学の学士号を取得してから、1988年から1990年まで山形県鶴岡市でALTとして働きました。その後、イギリスに帰国し、レディング大学で言語学の修士号を取得しました。1993年に再び来日し、石巻市の専修大学で教授として働き始めました。2011年の東日本大震災の体験もあり、現在石巻市復興まちづくり情報交流館の館長として活躍しています。
石巻市復興まちづくり情報交流館への訪問はいつでも大歓迎です。石巻駅から徒歩ですぐ行けます。
営業時間:9:30~18:00、休日:火曜日、12月30日~1月2日。
リチャードによる説明を希望する方は、事前に連絡の上スケジュールをご確認ください。
TEL: 0225-98-4425
MAIL: ishinomakicic@guitar.ocn.ne.jp

The Kagoshima Inaka Network -素晴らしい言い訳

Janice and Shaun、元鹿児島市ALT、2015年~2016年

日本のふるさととオーストラリアのふるさとの関係を深めること。友達に会いに行くため(そして地元のものを食べに行くため!)鹿児島に帰る言い訳を作ること。この二つの目標を達成する何かを探していました。

この夢から生まれたのはThe Kagoshima Inaka Networkです。

幸いなことに2015年から2016年に私たち(ジャニスとショーン)は二人ともパースの姉妹都市である鹿児島市にALTとして配置されました。人生で最も良い経験になったので、帰国してからも、得られた繋がりを続けられるように努力したいと思いました。

鹿児島の名物や工芸品をシェアするための会社を作ることにしました。Kagoshima Inaka Network (KIN)と名付けました。KINは英語で家族という意味があります。鹿児島とパースの姉妹関係とその繋がりを深めたい気持ちを表しています。KINは日本語で「金」という意味もあります。鹿児島とパースの沢山の宝物を示します。

鹿児島のお茶(またはお菓子)の文化が好きですので、パースの方もきっと好きだろうと思いました。鹿児島に住んでいる間、出会った農家が育てている有機栽培の煎茶と抹茶を輸入しようと決めました。将来的に陶芸やその他鹿児島の工芸品まで拡大したいと考えています。

KINのブランディングを作成するとき、鹿児島のことをデザインに入れました。ラベルには、スタジオに誘ってくれた鹿児島出身のアーティストにインスパイアされた刺し子を入れました。仙巌園、知覧やフワフワな枕の形をしているお刈込された木も表現しています。

KINを設立して以来、日本国総領事館やスーパーでのテイスティングイベントを通して、パースの人に鹿児島やJETの経験について紹介することで、予想外に目標を達成することができました。パース市と協力し広報映像を作成中ですが、姉妹都市関係を強調し、お茶が鹿児島の農家からパースの店にたどり着くまでの「旅」を紹介しています。自然食品店、高級スーパー、お土産店、そして、地元のカフェのメニューにも卸していただいています。納入業者を訪問することで鹿児島に戻る夢を叶えて、友達(そして食べ物!)と再会できました。

JETプログラムに参加する前はKINのような会社を始めるなんて全く予期していませんでした。JETプログラムに参加する事でJETプログラムの目標である草の根の国際交流を推進することが本当にできるかどうか分かりませんでした。しかし、その目標は今実現できていると信じています。

元JET参加者の皆様、地域を豊かにするため、日本での経験をシェアする方法を一緒に考えましょうか。どこにつながるのかわかりませんが、日本や友達、食べ物へつながるといいですね。

もし、KINに協力したい方、又は異文化交流を推進するためコミュニティと関わりを持つ方法について話し合いたい方がいらっしゃれば、ぜひメールにてご連絡ください。

メールアドレス:hello@kintea.com.au.

プロフィール
ジャニス氏とショーン氏はオーストラリアのパース出身です。二人とも2015年~2016年に鹿児島市でALTとして働いていました。ジャニス氏はカーティン大学でデザインと広報を勉強し、現在パースの一流のデザイン会社でグラフィックデザイナーとして働いています。ショーン氏は西オーストラリア大学で法学と商業を専攻し、現在オーストラリア政府の公務員として働いています。二人でKagoshima Inaka Networkを経営しています。フェイスブックインスタグラムでフォローしてください!

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